どこまでが許されるのか


先日述べたJASRAC問題にも通ずるものがあるが
今回は改めて「パクリ」というものについて考えてみたい。


「少しくらい似ているからと言って「パクリだパクリだ」と非難するのはどうなんだろう?」
これは、友人であるkasa☆hara(以下kasa)の意見である。
kasaは自身のフリーうんちくの中でパクりについてこのように述べていた。
「演者が変わればそれはオリジナルだ」
という意見は、今読むとたいへん興味深い。面白い視点である。
・・・・・・もちろん、ただ支持するだけの為に引き合いに出すわけではない。

例えばカラヤンが指揮した演奏が素晴らしかったからと言って、
小澤征爾の演奏がパクリだとは誰も言わないだろう。
そういう意味のことを言いたいのだと思う。
それについては確かに首を縦に振るより他ない。



では、パクリとは一体なんなのか、ということについて考えてみよう。
例えば、宇多田・倉木問題で、
倉木が宇多田の曲をコピーし、その歌い方が酷似していたとしよう。
それはパクリではない。コピーである。
あの一件で指摘されたのは、曲調とそれにひきずられる形で歌い方、そしてキャラづけである。
歌い方のパクリ、というだけならそんな大事にはならなかったはずだ。
現に、愛内なんたらが浜崎のパクリと言われていたが、いつの間にか聞かなくなった。

kasaは落語を例に出していたが、
落語というものも、決してオリジナルがコピーされ続ける文化ではない。
人情噺に手を加えることで笑い話になってしまった
『船徳』などがいい例だ。
その、手を加えた噺が客に受けたからと言って
周りがそのままそれを真似したとすればこれはパクりだろう。
あるいは逆に、この改作を人情噺のパクリだとする見方もあるはずだ。

こうして考えてみると、「なんでもかんでもパクり扱いするな」という意見は
少々柔軟すぎる気がしないでもない。
kasaが上の文章を書いたのは2000年8月。
彼はモーニング娘のファンなので、
つんくの曲がパクリだと特に言われていた当時、それが許せなかったのかもしれない。
だが、売れた曲のパッチワークのような歌ばかりでは逆に歌い手がかわいそうだ。
皮肉なことに、この時期に前後して、『こち亀』の中で
「あの曲とあの曲をミックスして売り出せ」というようなプロデューサー話が載っていた。
間違いなくモーニング娘をモチーフにしたものだったので、さすがの私も苦笑するしかなかった。


パクリはパクリなのだ。
それを非難するなというのはおかしい。
だが、この時kasaがまとめで述べているように
「大切なのは周りの人にどう評価されるのかということ。」
コピーやトリビュートやリミックスが売れるのはそれらがいいものである(期待含みだが)からだ。
例えパクリだろうが良いものなら良いと正当に評価されるべきだ。
だが、同時に、
「あれはパクリだ」という評価も正当に下されるべきなのだ。
パクリじゃない!!と叫びつづけてもそれは意味をなさない。
「この曲、パクリだけどいいよね」と言うべきなのだ。
倉木やモーニング娘に関して言えば、
当時「パクリだ」と言われたのが世間の評価だったわけで、
それを無視して、「一部の心ない意見がありますが〜」などと封殺してしまうのでは
『評価』の意味を失ってしまうのではないか。


最近、オーディションのコネ問題や
浜崎あゆみのカウントダウンの話題などに触れるにつけ、つくづく感じたのだが、
ファンにとって
「悪評は評価ではない」のだろうか?
稲垣や田代のように明確な形でもないと悪評はかき消されてしまう。
それでは良くないと私は思う。
「パクリ=悪」ならパクらせないよう応援するのがファンのあるべき姿だろうし、
「パクリでもいい」と思っているなら引き続き応援を続ければいいだけのことで、
他人の意見を蹴飛ばす必要はどこにもない。
なのに、パクリだと言った者を悪者にしてまで悪評を無くそうとするのはなぜだろうか?

 今だから言うが、
 以前、kasaの掲示板にモーニング娘の悪口(パクリがらみではない)が書かれた時、
 kasaは同じくファンの友人の指摘通りにその書き込みとレスを削除してしまった。
 こんなところで引き合いに出してしまってkasaには申し訳ないが、
 私もレスを消された一人だったので、これをここで告白する権利くらいはあるだろう。
 kasaは私と違って大変な人格者なので、
 人と争うことを好まず消してしまったらしい。それはよく理解できる。
 掲示板の管理者としても、その友人と付き合う上でも最善の選択だったのだろう。
 ・・・そのことを非難するつもりは毛頭ない。
 むしろ、私が驚いたのはその友人の感覚である。
 この時kasaは友人から
「荒らしだから消しなよ」と言われたそうだが、
 マイナスイメージの話題は荒らしか。まるで宗教だな。
 シンボルの悪口を言われたから殺す(=消す)のではどこぞの過激団体と同じではないか。
 恐ろしい話である。



話がだいぶそれてしまったが、
とにかくパクリはパクリとして評価するのが正当な評価だと私は思う。
もちろん、作者側が「パクリです」なんて言ってしまえば裁判で確実に負けるだろうから
公言するわけにはいかないだろうが(苦笑
ヒステリックブルーくらい堂々と「ジュディマリをモチーフにしました」と言ってほしいものだが。
そういや3年くらい前、ヒスブルとJAMの関係についてうんちくたれる馬鹿の多かったこと。
「日経エンタメ小脇に抱えて能書きたれてんじゃねーや!!」
と、何度言いそうになったかわからない(笑
あれですっかりエンタメが嫌いになってしまった。もちろん本そのものに罪はないのだが・・・
このことについてはまた別の機会に話すとしよう。


最後に
今回、この文章を書くにあたり、寛大に許可をくれたkasaに感謝したい。



2002年3月7日
文責:nakimi