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2006年01月25日
「いただきます」論争 [カテゴリ : Column002 ]
ラジオ番組の中で、永六輔さんが「いただきます」という挨拶について考えを述べておられたそうだ。
<「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争>
ある小学校に通う生徒の母親が
「給食費を払っているのだから、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい」と、言ったことに対して
リスナーから反発の声が多く寄せられたらしい。
この母親の声だけを切り取ると「なんて非常識な親なのかしら」ということになってもおかしくないが、
背景には複雑な事情があるような気がする。
たとえば、子供が「いただきます」を言わなかったばかりに教師に叩かれた、とか。
それに対する抗議の一部分を抜き出したものではないのかな。
この母親だって「お金に手を合わせる必要は無い」とまでは思っていないはずだ。
しかしまぁ難しい問題だ。
永さんが言っておられるように、感謝の気持ちは心でつぶやいたっていい。
だが、学校という集団生活の中では、揃って挨拶をするということも教育の一環としてとらえられるわけで・・・。
自分のことを振り返ってみると
行きつけのBAR、蕎麦屋、秋田料理店のように、相手の顔が見えるお店では「いただきます」を言っているようだ。
別に、他で食べる食事と比べてお百姓さんへの感謝が増したわけではない。
目の前にいる人に対する気持ちが言葉になって表れたのが私の「いただきます」なのだ。
そう言えば実家でもつぶやく程度には言っていたな。
給食センターから配送されてきた食べ物にももちろん心はこもっているものと信じたいが、
作り手の顔さえ見えない状況で「さあ感謝しろ」と言われても「誰に?」てなもんだろう。
・・・
第一、給食の献立って、栄養素のバランスばかり気にしていてちっとも美味しくない。
「栄養のバランス」ではない。「栄養素のバランス」だ。必要な数値さえ摂取させればOK、という考え方である。
正直言って、吐き気をもよおすような取り合わせも珍しくなかった。
あれでは給食を残す生徒が多くいても仕方が無い。
残すくらいマズいものを、席に縛りつけられて無理矢理食べさせられているのに
「手を合わせて感謝しなさい」「『いただきます』と元気に発声しなさい」と、命令されればそりゃ苦痛だろう。
「じゃあお弁当を持たせなさいよ。給食はね、働く母親の負担を少しでも軽減してくれているのよ!」
なんて言う人もいるかもしれないが、それは論点のすり替えというものだろう。
その場合、母親が「給食、ありがとう」と言うことはあっても、子供に「いただきます」を言わせる理由にはならないはずだ。
記事の最後には宮崎県が「いただきます」推進運動をしているという紹介があったが、これはいかがなものだろう。
このように無理矢理に言わせるのではなく、
まず「これこれこういうときには感謝の気持ちを声に出しましょう」と教えて
その上で、子供たちが顔をほころばせて感謝したくなるような環境を整えるべきではないだろうか。
永さんの「特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします」という言葉がすべてを言い表している。
・・・
本当にお百姓さんに感謝させたいのであれば水田見学の課外授業なりを取り入れるべきだ。
子供たちには何も考えさせずに「いいから手を合わせなさい!」では軍隊と一緒である。
とてもじゃないが「生きた教育」とは言えない。
子供たちが心から「いただきます」を言うことができる給食であってほしいものだ。
投稿者 nakimi : 2006年01月25日 11:41
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