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2006年02月18日
イラク人質事件の今井氏、ブログを公開 [カテゴリ : Column002 ]
雪ノ助さんのところで知ったのだが、
イラク人質事件で一躍有名になった今井紀明氏のブログが反響を呼んでいるらしい。
[向き合いの中から生まれるもの、それは対話]
[今井紀明の日常と考え事]
「向き合い~」の方では、彼に向け送られてきた様々な批判の手紙をネット上に公開している。
これに対して、「批判されたことに対する仕返しではないのか」という意見も多い。
少なくとも彼の言う「ジャーナリズム」とは何の接点も無いことが明らかである。
・・・
またその「ジャーナリズム」という言葉についても疑問が残る。
事件当時、今井氏・郡山氏が記者会見で
「自分たちはジャーナリストだ」と言い切った上で
「自己責任論による批判は自分らには当てはまらない」としたことに対して
伊集院光氏は
「もし今、電波少年とかがあって俺が行ったとしたら間違いなく自己責任を問われると思う。
じゃあ、ジャーナリストは自己責任を問われるのかって言われるとそれはわからないんだよな・・・」
と、言葉を濁していた。
線引きや責任問題はたいへんに微妙だが、
それにしても「ジャーナリズム」「ジャーナリスト」という言葉があまりにも便利に多用されているのではないだろうか。
話を批判の手紙に戻すと、
「人間はどれだけ残酷になれるのか」という病理・人間学の資料としてであれば有用かもしれないが
それが国際問題の解決に繋がるとか、彼の掲げる「人間同士の対話」の役に立つとは思えない。
どんなにきれいごとを並べようとも、
反発の気持ちがあるからこそこのような行動に出たということは否定しようのない事実だろう。
・・・
彼は文中で、ハンセン病や松本サリン事件を引き合いに出しているようだが、
前者は差別問題、後者は冤罪事件であり、人質事件とはまったく別種のもの。
同列に並べて「僕も被害者なんですよー」と語ること自体、両被害者に対して失礼なことだ。
また、自作自演という言葉に対して過敏に反応していることも底の浅さをうかがわせる行為だ。
「僕らは芝居でも遊んできたわけでもありません」
彼がそう言うのであれば確かにそうなのだろう。
しかし、人質事件における自作自演というのはそんなに軽い意味の問題ではないのだ。
・・・
イラク聖職者協会のクバイシ師は、わずか二週間の間に5件の人質事件を解決している。
それも、あまりにスムーズに、だ。
「そのヒロイズムに嘘はなかったのか?」という疑問こそが「自作自演疑惑」なのである。
つまり、「影響力のある指導者を演じていたのではないか」という説だ。
フセイン政権崩壊で立場の危ういスンニ派は、数の多いシーア派に対抗するために聖職者協会を設立したばかり。
「話ができすぎていないか?」という疑問は当然のものだ。
・・・
問題を履き違えて今井氏を批判する人間がいたのも事実だろう。
しかし、問題の当事者である彼が
「あれは本当の拘束です」と発言することにどれだけの重みがあるのかわかっていないというのは恐ろしいことだ。
誘拐した側の意図を読み違えるだけで、イラクのこれからが決まってしまう。
彼が本当にイラクのことを考えているのであれば
「僕は嘘なんかついていません」と言いたいだけのために声を荒げたりはしないはずだ。
・・・これが、自称"フリージャーナリスト"のすることだろうか?
自分のことしか考えていないじゃないか。
彼が2年間で身に付けたものは、
[批判に対する仕返しの方法、それはブログ]
ただそれだけなのか。
だとすればあまりに悲しい。
「対話」の中から何か掴み取ってくれることを祈るばかりである。
投稿者 nakimi : 2006年02月18日 17:14
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