« 2月27日、BARにて | メイン | 2006年2月の競馬について »

2006年02月28日

「学校ごっこ」を読む   [カテゴリ : diary003 ]

永六輔「[学校ごっこ] 六輔、その世界史」を読み終えた。
これが実に素晴らしい内容だった。

永さんならではの鋭い視点で世界の歴史を語り尽くそうという一冊。
元は「学校ごっこ」という講座で語られたもので、
・歴史講座
・宗教講座
・医療講座
・職人講座
・世相講座
・教育講座
の六時限に分けて収録されている。

永さんは「学校ごっこですから」と常に前置きし、
学会では認められないであろう理屈語りがあることを強調しているが、
例えば、奈良から長岡京、平安京と遷都した理由について
「大仏を作るには銅が必要。
銅を溶かすためには木を伐採しなければならないから山は禿山になっていくし
溶けた銅からは有毒ガスが出て草木は枯れ、川の魚は死ぬ。
また、金メッキを貼るには金を水銀で溶かさねばならず、水銀中毒者も増える。
それを当時の人は『祟りだ』と考え、遷都を計画した」

というお話には説得力があった。
(Q.E.Dなんかに影響されているから尚更そう感じるのかもしれないが)

医療現場のあり方や教育問題にまで警鐘を鳴らす一冊。とてもじゃないが紹介しきれない。

私がこの本から感じ取ったのは、「経験の重み」というものについてだ。
と、言っても、
「永さんはあれを見てきたからすごい」「これを経験しているから説得力がある」というようなものではなく、
人生に裏打ちされた説得力とでもいうのかな。
たとえば新潟中越地震の項で
「ラジオの被災者情報を使ってイタズラする奴がいる
『苫小牧の井上さん。博多の誰々さんからよろしく、元気でねとの伝言です』というものがあった」

と、書いておられるが、これが本当にあったことかどうかはわからない。
いくら混乱していたと言っても、さすがにそれはないだろう、という気はする。
しかしそれでも永さんの口から語られると
「作り話かもしれないが、そのようなことの無い社会にしなければ」という気持ちにさせられるのだ。
「本当かよ」と思う前に「確かになぁ」と頷いてしまう。
これが人生の重みというものなのだ。
ドラえもんに出てくるジーンマイクのようなもの、と言えばわかりやすいだろうか。
永さんが語るとどんなことでも心に響くのだ。
私も方便を繰(く)ることはあるが、どんなに言葉を選んでも永さんほどの説得力を持たせることはできない。
それは人生の厚みが違うからなのだ。

これだけ面白くてためになる本に出会うことは滅多に無い。
永さんと言うと「大往生」のイメージが強くて敬遠していたのだが、
これからはちょくちょく手に取ってみようかな、と思った。


オマケ・・・ではないのだが
職人さんと話していて"琺瑯"という漢字がわからなくなった永さんがTBSに電話して調べてもらおうとしたところ
電話に出たのが外山惠理アナウンサー(笑)
「ホウロウのホウを辞書で引いてくれ」と頼むと
「何ですか。ホウロウって?」と返されて
そこから説明しなければならなかった、という話はまた別の意味で面白かった。
職人講座自体は2002年のものらしいので、それ以前にあった話だとすると
今の私よりも若い頃の恵理ぴょん、ということになるわけだが・・・それにしても・・・(苦笑
・・・
でも、逆に言えば、これから辞書を引こうっていう時に「なんですか?」と素直に聞くことができるというのは
彼女の人柄をあらわしたいいエピソードかもしれないね。

投稿者 nakimi : 2006年02月28日 23:41

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.nakimi.com/mt/mt-tb.cgi/748

コメント

お名前とメールアドレスを入力してください

!!"Comment spam" and "Track back spam" are automatically excluded!!




保存しますか?