2006年05月23日

ダービーvsサッカー   [ Column002 , Column003 ]

28日は競馬の祭典「日本ダービー」
400回目のG1という記念すべき日でもある。

よりによってそんな日に、結婚式出席のため上京してくる友人がいる。
・・・まぁ、それは構わない。
私も古い友人と楽しく語らえるのであればそちらを優先するつもりだった。
しかし・・・
彼らはサッカーミュージアムに行きたいから案内してくれる?」などと言うのだ。
しかも、帰りの電車があるのでそれほど長居はできないという前置き付き。
そりゃないだろう。

貴重な休日、しかも記念すべき日に
「君に会いに行くわけじゃないけど、東京の交通機関は複雑だからガイドしてくれない?」と言われて
大喜びで馳せ参じたら馬鹿ですよ。

元々がサッカーミュージアムを見るためにやってくるならともかく、
結婚式出席という大きなイベントがメインにあるのだから、観光は言わばオマケのようなもの。
そのオマケのお楽しみがあまりに大きく膨らみすぎて「人」をないがしろにしてしまうというのは残念なことである。

私はそれほどサッカーに対して情熱を持っているわけではないので
「だったら(隣駅の)秋葉原で時間を潰してるよ」と、言ったら
「ああ、nakimi君、秋葉原が好きだもんね」って・・・お前、それは違うだろ、と。
こちらが「旧友」を振りかざして喫茶店に引き止めるのも悪いと思ったから
「君らは好きに観光しておいで。僕は外で待っているから」と、言ったんじゃないか。
外で待っていると言えば彼らにプレッシャーがかかるだろうから秋葉原を引き合いに出したんじゃないか。

上京で舞い上がる気持ちは分からないでもないが、もう少し人の気持ちを理解してもらいたいものである。

投稿者 nakimi : 11:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月05日

中学生でも入会できるクレジットサービス   [ Column002 , mobile ]

ドコモ、中学生でも入会できるクレジットサービス「DCMX」

こうした新しい試みに対して賛否両論分かれるのは当然のこと。
そもそも、紙幣という存在自体が取引を可能にするアイテムなのだから
クレジットがダメなら小遣いをやること自体を禁ずるのが筋、という見方もできる。
・・・しかし、それにしても中学生にクレジットサービスというのはいかがなものか。

少し前、ライブドアの株を持っているというトレーダー小学生が有名に(粉飾事件後は晒し者に)なったが、
あれと同じで「なんか違う」気がする。

なんでもかんでも昔のやり方を押し付けろというわけではない。
しかし、社会には社会の仕組みというものがある。
全ての常識を身に着けてからそれを打ち破るのは素晴らしいことかもしれないが、
何もない状態で逸脱した行動を取ればそれは反社会的行為にほかならない。
つまり、「おサイフケータイは素晴らしい発明だが、それを子供に使わせるのは間違っている」のである。

「今の子供たちは親が思っているよりずっと大人なんですよ」などと
したり顔で話す輩が後を絶たないが、それは違う。
大人びた言動を吐いたり大人びた行動を取る子供たちは
ゲームでいうところの攻略本を読んで先に進んだだけの、薄っぺらい存在なのだ。
そうした子供たちの背伸びを全否定するつもりは無いが、
現実を見誤って子供向けにビジネスを展開するのはどうかと思う。


ここでちょっと視点を変えてみよう。

例えば、ある中学生が「ネットで使えるお金が欲しい」と考えたとする。
でもクレジットカードなんか持ってないから、まずはじめはプロバイダ決済を利用して購入。
当然、購入内容がプロバイダから送られてくる明細に記載されるから、親にバレて怒られる。
ここで「なるほど、プロバイダ引き落としは親にバレるのか」ということを学ぶわけだ。
 「じゃあどうしようか」
 「この、決済方法のところに書いてあるWebMoneyってなんだろう?」
 「どうやらコンビニで買えるらしいぞ」
・・・
なーんてことを学びながら、工夫していくのである。
こうじゃなくっちゃ面白くないだろう。

子供が背伸びしたがるのはごく普通のこと。私もそうだったし、私の親世代もそうだったに違いない。
だが、社会が「その背伸び、我々がお手伝いしましょう」と、環境を整えてしまうのは、「なんか違う」
銀玉鉄砲で遊んでいた子供に射撃場を貸し与えるようなものだ。

子供の権利というのは、大人と同じことをする権利ではなく、「子供が子供でいられる権利」なんじゃないかな。

投稿者 nakimi : 07:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月22日

シマンテック、Winny検索ツールを無償公開   [ Column002 , PC001 ]

シマンテック、Winny検索ツールを無償公開

ウイルスチェックソフトを製作・販売している会社の立場としては、この行動は間違っていない。
だが、社会的に見た場合、本当にそれでいいのだろうか?という疑問も残る。

先日のエントリでは、「著作権問題と情報流出問題は別にして考えるべきだ」と指摘したわけだが、
会社のパソコンを管理する人間からすれば、「このソフトには×マークが2つついた」と評価するのは当然。
サラっとこっそり検索をかけて、社内のパソコンからウィニーを一掃したいと考えるのも自然な発想だ。
しかし、ここで振り返らねばならないのが基本的な部分。
「ウィニーはウイルスではない」のだ。
いや、別に、「ウイルスではないのだから検索ツールはやりすぎ」などと言いたいわけではない。
問題なのは管理に対する意識だ。
「ウィニーを削除した。さあこれでもう大丈夫」と、安堵したその隙を突いて攻撃されないとは限らない。
いや、むしろ、ウイルスで世の中を騒がせてやろうなどと考えるタイプの人間なら間違いなくそこを突く。
このシマンテックの検索ツールはあまりに便利すぎて、
利用者および管理者の意識を高める役に立たないのでは、という不安がある。

ウィニー問題は様々なもののあり方について考えさせられる事件だった。
だが、あまりに複雑な問題であるため、「ウィニーに感染」などというように、ウイルスと混同してしまう人が出てきた。

本来はそこを是正し、より有効なセキュリティ対策を取るべきであるのに
「一発で検知しますよ。あとは該当者に警告してください」なんてソフトを配布してしまってはイタチごっこさえ始まらない。
利用者は依然、無防備なままなのだ。

この検索ツールを使うのはおおいに結構だが、決して「ウイルス対策の救世主」などと誤解しないように。
一番の敵はファイル交換ソフトでもなければそれを利用する社員でもない。『油断』なのだ。
私もこれを書きながら肝に銘じたいところである。

投稿者 nakimi : 19:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月15日

ウィニー関連の情報流出報道について   [ Column002 , PC001 ]

ウィニーに衝撃、芸能界困惑…住所、電話番号流出
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

最近になって急にウィニー関連のニュースが増えたのは
製作者の金子氏を法廷で追い詰めるためだという勘繰りもあったようだが
今回のニュースは皮肉にもそうした意見を吹き飛ばすくらいの衝撃を持っていた。
やはり、その危険性については改めて考える必要がある。

しかし・・・どうしても引っかかることがある。
このような個人情報流出について、何らかの理解を示すつもりは一切無いのだが、報道の向きが気になるのだ。

一方では、「ごく普通の警察官や教員が利用していた」
あるいは「こうした報道を受けて興味本位で利用する人が増えた」
と、気軽に利用することが問題であるとしておきながら、
今回の被害者の方々に対しては
「これで見知らぬ人間が家に押しかけてきたりイタズラ電話がかかってきたりしますよ?どうしますか?」
などと不安を煽り、あたかも悪意を持った犯罪者集団が情報収集にでも使っているかのような言い方をする。
この一貫性の無さはどうにかならないものか。

もちろん、"ごく普通の一般市民"がイタズラ電話をかけることもあるかもしれない。
個人情報を抜かれた側のからすればそのような不安を感じるのは当然のことだ。
だが、「ウィニー憎し」の気持ちが先立つばかりに、物言いがあやふやになるようでは困る。
・著作権問題は著作権問題
・情報流出問題は情報流出問題
きっちり分けて考える必要がある。そこを報道がミスリードするようではいけない。


ちなみに、こうした情報流出は
流通しているウイルスが利用者の個人情報を抜き取ることによって起こるものであり、
ウィニーというソフト自体が情報を収集しているわけではない。
かつては類似のウイルスが電子掲示板で個人情報を流出させたこともあるらしい。

一度感染した人間が「ウィニーさえ使わなければ大丈夫」と言いながらネットをし続けるのは
一度株で損をした人間が「IT関連さえ買わなきゃ大丈夫」と言っているようなもの。
問題を一面化せず、セキュリティ対策を万全にしておくべきなのだ。
そして報道にはそのことを伝える義務がある。

・・・まぁ、こんなことを言うとネット全体を規制する某国のようになりかねないから、
「ウィニー憎し」が方便としてスケープゴートにされる理由もわからなくはないのだが・・・

投稿者 nakimi : 19:41 | コメント (0) | トラックバック

原田今季限りで引退、指導者に   [ Column002 ]

原田今季限りで引退、指導者に
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

やはり年齢の壁は高かったか。

とにかく今はゆっくりと体を休めてください。

[関連エントリ:プロスポーツと「奇跡」]

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2006年03月11日

花粉症 対策商品や企画人気なく   [ Column002 ]

花粉症 対策商品や企画人気なく「平年の7割」予測影響か
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

2年前にもこんなニュースがあった。
「今年は花粉が少なくて、対策グッズのメーカー落胆」というやつだ。
今回は
「本当は記録的な花粉の量なのに、消費者はバカだから少ないと思い込んでて売れねーわ」だそうだ。
・・・まったく腹の立つ業界である。
人の弱みに付け込むような商売をしておきながら、売れなくなると騒ぎ出す。どういう神経をしているんだ。
苦しんでいる人が少ないのは喜ばしい、と、嘘でも言えないものかねぇ?

そう言えば確かに今年は多少だが楽・・・なような気がする。
オフシーズンに食べ続けたヨーグルトが良かったのか、インターバランスが良かったのか・・・
もちろん酷い日はかなり苦しいが、クシャミを連発しながらマスクをしてもしょうがないわけで、
結局はおさまるのを待つのがセオリーということになってくる。
・・・
レーザー治療や免疫治療など、花粉症になりにくい体質を作るのが重要であることはわかっているが
多くの人は対処療法に頼らざるを得ないのが現状だ。
メーカーがそのあたりを考慮して商品開発にあたってくれれば双方の利益が一致するではないか。
お偉い先生まで連れてきて消費者心理を分析するまでも無いことだ。

「素晴らしい製品なのに売れない」と嘆くのは、花粉を100%シャットアウトできるものを開発してから言うセリフでは?
既存の商品で利益を上げなきゃ開発もままならなくなるのはわかるけど、今のやり方はあまりにお粗末だよ・・・

投稿者 nakimi : 21:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月09日

亀田興毅はヒーローになれるのか   [ Column002 ]

メキシコのボウチャン選手に勝利し、世界戦への階段を上り続ける亀田興毅。
しかし、先の試合では、ローブロー(急所攻撃)があったのではという疑問も出ている。
最短距離で世界王者を狙うあまりに国内戦を無視するその姿勢を問題視する声も少なくないようだ。

そんな折、
「協栄ボクシングジムの掲示板が面白いことになっているらしい」
と言われて見にいったところ、亀田興毅を賛美する声が大量に書き連ねられていた。
これの何が面白いのだろうと思ってよく見てみると・・・



・・・なるほど(苦笑

どうやら、この掲示板に亀田兄弟やジムに対するマイナスイメージの書き込みがあると即消去されるらしい。
それに対してこのような手段を取る人がいたというわけだ。

ちなみに、今現在はこれらの書き込みさえも全て消去されている。
ロジックも含め、批判は一切許さないということなのだろう。

ローブロー疑惑に対しても、「相手は演技がうまい」と逃れた亀田興毅。
トリノが終わって日本人がヒーローに飢えている時期だからこそ、
「勝てばええんや」ではなく、本物のスターたる立ち居振舞いを見せてもらいたいところなのだが・・・。

投稿者 nakimi : 22:22 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月23日

プロスポーツと「奇跡」   [ Column002 ]

トリノ五輪ジャンプ代表の原田雅彦氏が帰国した。
原田氏は「4年後もその次も視野に入れたい」と語っているという。

彼の無念さや今後にかける意気込みには敬意を表したい。
が、しかし、4年後と言えば41歳。8年後なら45歳だ。
さすがにアスリートとしてやっていける限界を超えてしまうような気がする。
確かにプロ野球や大リーグでは40代で活躍する選手もいる。
スポーツ医学が進歩したおかげで選手寿命が延びたという意見もあるだろうが、
競馬の騎手などでは逆に若くして引退するケースが増えている。一様にくくることはできない。

原田氏の活躍に期待しないと言っているわけではない。
ただ、「可能性はある」「奇跡は起こる」と振り撒くことで、
その「奇跡」という言葉の重みが薄れてしまい、安い扱いになってしまうことは問題だと思う。
「奇跡を起こすためには常識の何十倍の努力が・・・」などと聞いたようなことを言うつもりはない。
どのスポーツ選手だってたいへんな努力をしているはず。言わずもがなというやつだ。
逆に言えば、それでも起きないからこそ奇跡なのだ。

そう言えば、先日、「日曜日の秘密基地」にゲスト出演したヨネスケ氏が
「プロ野球選手に会うと緊張しちゃうよ。エリート中のエリートだもん。
だって、東大には1年で5000人が入れるのに、プロ野球には1年で100人しか入れないんだよ」

と、語っておられた。
そしてその中からさらに選ばれた選手が一軍のグラウンドに立てるというわけか。
そう聞くと改めて彼らの凄さを感じる。ここに何かを掴む糸口はないか。
・・・
例えば
最下位のチームを軽んじるのは「プロ野球選手」というスポーツのエリートを見損なった行為である。これはいけない。
しかし同時に、最下位のチームに安っぽい奇跡を期待することは相手チームに対して失礼なのではないか。
そう。「奇跡なんか起きない」と叫ぶことは、アスリートを侮辱する行為などではない。
むしろ尊敬しているからこそ出てくる言葉なのだ。

日本人は「不言実行」を美徳に感じる。私も例外ではない。
ただ、37歳の原田氏が4年後突然、表舞台に出てきたら、
彼が陰でどれだけの努力をしていようと疑問に感じてしまうだろう。
であればむしろ、ここから4年間の間、彼の努力を余すことなく伝えることで、
「突発的な奇跡なんかじゃなく、鍛錬の積み重ねで代表を勝ち取ったのだ」と、わかってもらえるのではないかな。
原田氏には、アスリートに奇跡なんか関係ないんだ、というところをぜひ見せていただきたい。


・・・しかし、ヨネスケ氏はプロ野球全体を見ることができるから全ての選手を尊敬できるのだろうね。
なかなかできることではない。実に立派なスポーツファンだと思う。

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2006年02月20日

道場六三郎氏による「日本人の食卓」論   [ Column002 , Radio ]

「伊集院光 日曜日の秘密基地」
VIPルームのゲストは道場六三郎氏だった。
その道場氏へのインタビューを聞いていてふと思ったことがあるので今回はそれを述べてみたい。

グルメ漫画「美味しんぼ」の中に
「現代人はパチンコや携帯電話に何万もつぎ込むくせに、食費は1円でも浮かそうとする」
という非難の言葉が載ったことがある。
消費者が安いものしか買わないようになると、売り手の側も生産者に対して「とにかく安く!」と求めるから、
結果、品質が下がったり、使いたくもない農薬・除草剤を使うことになる、というその内容には説得力があった。
現に、kasahara氏はこの場面を読んで「自分にも覚えがある」と嘆いていた。
私だって似たようなものだ。
本物の蕎麦や地鶏を食せるのは月に数回。後の数十回は本物とは程遠いものを口にしている。

この「美味しんぼ説」が間違っているとは思わないが、
「現代人は」という部分に疑問符を投げかけてくれたのが道場氏のコメントだった。
・・・
道場氏は、かつて高級食材を取り扱う店を出したがすぐに潰れてしまったという。
時代は高度経済成長期に向かう頃。
単純に考えると、景気がよければ高級品が売れそうなものだが
当時は、三種の神器やらなんやらでほとんどの一般家庭が月賦に追われており
とてもじゃないが食べ物に気を遣う余裕などなかったのだという。
だとすると、日本人は昔から「とにかく安く」を求めてきたということになるではないか。
・・・
もちろんこれは店が潰れた要因を道場氏が分析した結果であり、実際のところはどうだかわからないが
少なくともそのような見方ができるということだけは確かなようだ。

別にこれを述べたことで、生産者に無理を強いる今の流れを擁護できるとは思っていない。
美味しんぼの言う事には一理も二理もある。
ただ、「現代人は・・・」と簡単にくくってしまうことで、
かえって問題の闇を見えづらくしてしまっている部分もあるのではないかと感じた。
「日本人の気質として、食べ物が二の次に置かれることが多い」と言い直すべきではないだろうか。
・・・いや、海外がどうだかはわからないけど。

投稿者 nakimi : 05:14 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月18日

イラク人質事件の今井氏、ブログを公開   [ Column002 ]

雪ノ助さんのところで知ったのだが、
イラク人質事件で一躍有名になった今井紀明氏のブログが反響を呼んでいるらしい。
[向き合いの中から生まれるもの、それは対話]
[今井紀明の日常と考え事]

「向き合い~」の方では、彼に向け送られてきた様々な批判の手紙をネット上に公開している。
これに対して、「批判されたことに対する仕返しではないのか」という意見も多い。
少なくとも彼の言う「ジャーナリズム」とは何の接点も無いことが明らかである。
・・・
またその「ジャーナリズム」という言葉についても疑問が残る。
事件当時、今井氏・郡山氏が記者会見で
「自分たちはジャーナリストだ」と言い切った上で
「自己責任論による批判は自分らには当てはまらない」としたことに対して
伊集院光氏は
「もし今、電波少年とかがあって俺が行ったとしたら間違いなく自己責任を問われると思う。
じゃあ、ジャーナリストは自己責任を問われるのかって言われるとそれはわからないんだよな・・・」

と、言葉を濁していた。
線引きや責任問題はたいへんに微妙だが、
それにしても「ジャーナリズム」「ジャーナリスト」という言葉があまりにも便利に多用されているのではないだろうか。

話を批判の手紙に戻すと、
「人間はどれだけ残酷になれるのか」という病理・人間学の資料としてであれば有用かもしれないが
それが国際問題の解決に繋がるとか、彼の掲げる「人間同士の対話」の役に立つとは思えない。
どんなにきれいごとを並べようとも、
反発の気持ちがあるからこそこのような行動に出たということは否定しようのない事実だろう。
・・・
彼は文中で、ハンセン病や松本サリン事件を引き合いに出しているようだが、
前者は差別問題、後者は冤罪事件であり、人質事件とはまったく別種のもの。
同列に並べて「僕も被害者なんですよー」と語ること自体、両被害者に対して失礼なことだ。


また、自作自演という言葉に対して過敏に反応していることも底の浅さをうかがわせる行為だ。
「僕らは芝居でも遊んできたわけでもありません」
彼がそう言うのであれば確かにそうなのだろう。
しかし、人質事件における自作自演というのはそんなに軽い意味の問題ではないのだ。
・・・
イラク聖職者協会のクバイシ師は、わずか二週間の間に5件の人質事件を解決している。
それも、あまりにスムーズに、だ。
「そのヒロイズムに嘘はなかったのか?」という疑問こそが「自作自演疑惑」なのである。
つまり、「影響力のある指導者を演じていたのではないか」という説だ。
フセイン政権崩壊で立場の危ういスンニ派は、数の多いシーア派に対抗するために聖職者協会を設立したばかり。
「話ができすぎていないか?」という疑問は当然のものだ。
・・・
問題を履き違えて今井氏を批判する人間がいたのも事実だろう。
しかし、問題の当事者である彼が
「あれは本当の拘束です」と発言することにどれだけの重みがあるのかわかっていないというのは恐ろしいことだ。
誘拐した側の意図を読み違えるだけで、イラクのこれからが決まってしまう。
彼が本当にイラクのことを考えているのであれば
「僕は嘘なんかついていません」と言いたいだけのために声を荒げたりはしないはずだ。
・・・これが、自称"フリージャーナリスト"のすることだろうか?
自分のことしか考えていないじゃないか。

彼が2年間で身に付けたものは、
[批判に対する仕返しの方法、それはブログ]
ただそれだけなのか。
だとすればあまりに悲しい。
「対話」の中から何か掴み取ってくれることを祈るばかりである。

投稿者 nakimi : 17:14 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月13日

心の病と討論会   [ Column002 ]

心理学を教えておられる先生に連れられて、あるカウンセラーさんのお宅にお邪魔することになった。
なんでも、鬱など心の病気について治療中の患者さんを集めての討論会が開かれるとのこと。
 (補足しておくと、このカウンセラーさんはしっかりした方で、
 集められたメンバーも、討論に堪える力のある人ばかりだった。安易なショック療法の類ではない)

楽しみとも不安ともつかない、なんとも不思議な気持ちで門をくぐった。

その討論会に参加させてもらっての感想だが・・・
ハイレベルなやりとりの中にも、やはり、「あ、なるほどね」という面は見えてくる。
やたらに「つまり君はこう言いたいんだろ」と、一方的な解釈をしてくってかかる人もいれば
「それはごまかしだ」「それは詭弁だ」を連発して収拾がつかなくなる場面もあった。
・・・
当然のことながら十人十色の考え方があり、それぞれに長所短所を持っているので
患者同士でお互いの至らぬ部分・・・時には治療が必要な部分についても指摘し合ったりしていた。
これについて乱暴だと言う意見もあるかもしれないが、私は良い試みだと感じた。

先生方によれば、
薬による副作用も含めて、精神病患者には討論に必要なものが欠ける傾向にあるという。
それは人によって記憶力であったり、分析力であったり、理解力であったりするらしい。
治療の段階にもよるが、正常を取り戻すためにはこうした方法も有効なのだという。

せっかくなので、私も簡単なテストを受けてみることにした。
これは精神病のチェックではなく能力検査だ。
その結果・・・
理解力・判断力は一般人レベルの及第点
分析力・思考能力・表現力は一般より高いレベルにあるとのお墨付きをいただいた。
・・・ただ、記憶力はかなりマズいらしい(苦笑
カウンセラーさんには「何かきつい薬を服用してますか?」と聞かれるし
心理の先生には「トラウマを捨てて新しいことを詰め込みなさい」と言われるしで散々だった。
DSトレーニングでもやらんといかんかな。


最後にカウンセラーさんのお言葉を紹介したい。

 「『風邪を引いている人がまともにマラソンなんかできない』ということは誰もが理解してくれるのに
 『精神病患者がまともに議論できない』などと言うと差別発言だと思われる風潮にあります。それではいけません。
 彼らに何が足りないのか、何が欠けているのかを周囲がきちんと理解し、
 適切にフォローすることこそが治療なのです」
 
 「また、病気に気付かないまま成長してしまい、その結果、ある能力を身に付け損なってしまう人もいます。
 きつい言い方をすれば、 治療が終わったからといって欠けている部分があるということには変わりありません。
 そういった方たちに対するケアも、私たちの仕事だと思っています」

・・・
昨今、精神病に対する理解が深まり、
例えば、怠けているように見えたものが実は病気のせいだったと理解してもらえるようになった。
しかしその反面、平等や非差別に対する意識が強くなりすぎて
患者に対する指摘が問題発言ととられかねないという弊害も生んでいる。
さすがに本人に対して堂々と指摘するのは治療の関係上好ましくない場合も多いだろうが
周りの人間が「理解すること」から目を背けてはならないのだ。
こうした問題に立ち向かう先生の姿は神々しく見えた。


-----追記-----
カウンセラーさんのお言葉に「ある能力を身に付け損なってしまう人もいます」というものがあったが
時々交流させていただいている雪ノ助さんのブログにもそのような記事があった。
「アスペルガー症候群」というらしい。ここに紹介させていただく。

投稿者 nakimi : 21:41 | コメント (2) | トラックバック

2006年02月02日

今年も出ました「温情停車」   [ Column002 ]

乗り過ごし受験生“救助” JR東日本が温情停車
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

別に今年の受験生に対して含むところがあるわけではない。
思いは一つ。
「もっと大事な用事がある人が同乗していたらどうするんだ?」
ということ。
これが原因で何億円の契約をフイにした人がいたら、この受験生は責任を取ることができるのだろうか。

もちろん、こうしてニュースになるくらいだから、あくまでレアケースなのだろう。
JRも他の乗客に配慮した最善の措置を取ってくれるものと信じたい。
ただ、「相談したもん勝ち」というのはどうしても不公平感を募るものだ。
言い出せなくて遅刻しちゃった生徒さんも絶対いると思うんだよね。

公共交通機関がどうと言うよりも、
入試のスタイルやルールに何か求められているような気がしてならない。

・・・まぁ、時代も変わったんだし、
せめて「車内から携帯電話で連絡しても許される」くらいに留めてもらいたいものだ。


参考エントリ(過去の温情停車ネタ):
温情停車の東北新幹線。その余波は?(2005年2月4日)
(過去の日記)(2003年2月10日)


-----追記 (2/3)-----
思ったよりも美談扱いする人が多くて驚いた。
それも、なんかこう・・・反論のための反論というか、
「この生徒を叩いている奴の理論的な穴をつつきたい」というだけの理由で発言しているように見受けられる。
議論は言葉遊びではない。本質を捉えることが大事なのだ。

「もしこれが受験生じゃなくて急病人だったら責めることができないだろ」というタラレバでものを語る人もいるようだが、
そういう人たちは
「もしこれが原因で遅延を取り戻すために速度超過運転して福知山線の脱線事故のようなことが起きたら」
というタラレバは考えないのだろうか?
事故が原因のPTSDを持つ人からすれば、[緊急停車]→[再加速]なんて恐怖体験以外のなにものでもないよ。

投稿者 nakimi : 15:14 | コメント (0) | トラックバック

Amazonの個人情報取り扱いについて   [ Column002 ]

先日の件で楽天にほとほと愛想が尽きた私は、
PaSoRiSkypeなどという買い物をしてもそれをアフィリエイトに活かすことができなかった。
そこで、「このままじゃもったいない」と、東の横綱であるアマゾンへの登録を検討することに。

1月28日未明にアカウント登録をしようとしたところ、
必要とされる個人情報が多いのでとりあえず保留することにしたのだが・・・
今日になってアマゾンのトップページにアクセスして驚いた。


なんと、会員登録が完了していないにも関わらず、その途中で入力した私の名前が登録されていたのだ。
キャンセルしても個人情報は逃がさない、ということなのか。
これじゃやってることは楽天と大差ないじゃないか・・・。こんなんじゃもう、どこも信用できないよ・・・


まぁ、裏業者に通販を頼むわけじゃなし、
個人情報のやりとりに神経質になりすぎるのもどうかと思う。それはわかっている。
・・・
私が登録を保留したのは引越しする可能性が大きくなってきたためで、それ以上の理由は無い。
アマゾンにはまた機会を改めて登録することになるだろう。
おすすめのデジモノを紹介できないと、買い物の楽しみが半減するからね。


-----追記 (2008/3/13)-----
上記は2006年に投稿された記事です。
2008年3月の「ほしい物リスト」騒動についてはこちら

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小泉首相失言「格差出ること悪くない」   [ Column002 ]

経済格差悪くない、小泉首相が答弁=「ねたむ風潮慎むべき」-参院予算委
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

>さらに、首相は「貧困層をなくす対策と同時に、
>成功をねたむ風潮や能力のある人を引っ張る風潮は厳に慎んでいかないと、社会の発展はない」と答えた。

・・・
・・・・・・もう、この人の頭の中には、自分が国民の代表であるという認識が無いんだろうね。
富裕層だけが市民権を持っているとでも勘違いしているんじゃなかろうか。

そりゃ共産主義国家じゃないんだから貧富の差が出るのはしょうがない。
でも、国会議員は「国民の」幸せのために存在するわけでしょう?
その長たる内閣総理大臣が、

「貧乏人は金持ちの足を引っ張るな」

って発言しているわけだよ。・・・どうかと思うわ・・・。

森前総理の失言なんか相手にならないくらいの問題発言だと思うんだけど、みんな、これスルーしちゃっていいの?

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2006年01月26日

都会の雪に感じたこと   [ Column002 ]

21日に降った雪もだいぶ溶けてきた。
交差点の一部にはまだツルツル滑るような危険なところもあるが
まぁ全体的には平常を取り戻したといっていい。

言うまでも無いことだが、雪かきをせずに放置すれば路面は凍りつき、転倒事故の原因となる。
マンションやアパートの前の道がまったく処理されていないのは、
悲しいことだが、ある意味で都会の風物詩という諦めもある。
・・・しかし、商店の対応に驚かされることになるとは思わなかった。

ある道を通ると
豆腐屋の前は雪かきがされているので路面は凍結しておらず、
隣の車庫前は雪かきがされていないのでボコボコツルツル。
そしてさらに隣のペットショップの前は雪かきがされておりスッキリしている・・・
と、いうように、処理済みの路面と凍結した路面が交互に繰り返されていた。
「これじゃかえって歩きにくい」と、歩行者や自転車の多くは車道の隅を歩くことに。

これはある意味、「どうせ誰かがやるだろう」と放置されているマンション前の凍結よりも悲しい光景である。
地域に根付いているはずのお豆腐屋さんが、
「うちの前は雪かきしたけど隣は知らないよ」と主張しているようなものなのだから。

別に豆腐屋さんが悪いわけではないのだが、なんとも言えない気持ちにさせられた。
罪な雪だね。

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2006年01月25日

「いただきます」論争   [ Column002 ]

ラジオ番組の中で、永六輔さんが「いただきます」という挨拶について考えを述べておられたそうだ。
「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争

ある小学校に通う生徒の母親が
「給食費を払っているのだから、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい」と、言ったことに対して
リスナーから反発の声が多く寄せられたらしい。

この母親の声だけを切り取ると「なんて非常識な親なのかしら」ということになってもおかしくないが、
背景には複雑な事情があるような気がする。
たとえば、子供が「いただきます」を言わなかったばかりに教師に叩かれた、とか。
それに対する抗議の一部分を抜き出したものではないのかな。
この母親だって「お金に手を合わせる必要は無い」とまでは思っていないはずだ。


しかしまぁ難しい問題だ。
永さんが言っておられるように、感謝の気持ちは心でつぶやいたっていい。
だが、学校という集団生活の中では、揃って挨拶をするということも教育の一環としてとらえられるわけで・・・。

自分のことを振り返ってみると
行きつけのBAR、蕎麦屋、秋田料理店のように、相手の顔が見えるお店では「いただきます」を言っているようだ。
別に、他で食べる食事と比べてお百姓さんへの感謝が増したわけではない。
目の前にいる人に対する気持ちが言葉になって表れたのが私の「いただきます」なのだ。
そう言えば実家でもつぶやく程度には言っていたな。

給食センターから配送されてきた食べ物にももちろん心はこもっているものと信じたいが、
作り手の顔さえ見えない状況で「さあ感謝しろ」と言われても「誰に?」てなもんだろう。
・・・
第一、給食の献立って、栄養素のバランスばかり気にしていてちっとも美味しくない。
「栄養のバランス」ではない。「栄養素のバランス」だ。必要な数値さえ摂取させればOK、という考え方である。
正直言って、吐き気をもよおすような取り合わせも珍しくなかった。
あれでは給食を残す生徒が多くいても仕方が無い。
残すくらいマズいものを、席に縛りつけられて無理矢理食べさせられているのに
「手を合わせて感謝しなさい」「『いただきます』と元気に発声しなさい」と、命令されればそりゃ苦痛だろう。

「じゃあお弁当を持たせなさいよ。給食はね、働く母親の負担を少しでも軽減してくれているのよ!」
なんて言う人もいるかもしれないが、それは論点のすり替えというものだろう。
その場合、母親が「給食、ありがとう」と言うことはあっても、子供に「いただきます」を言わせる理由にはならないはずだ。


記事の最後には宮崎県が「いただきます」推進運動をしているという紹介があったが、これはいかがなものだろう。
このように無理矢理に言わせるのではなく、
まず「これこれこういうときには感謝の気持ちを声に出しましょう」と教えて
その上で、子供たちが顔をほころばせて感謝したくなるような環境を整えるべきではないだろうか。
永さんの「特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします」という言葉がすべてを言い表している。
・・・
本当にお百姓さんに感謝させたいのであれば水田見学の課外授業なりを取り入れるべきだ。
子供たちには何も考えさせずに「いいから手を合わせなさい!」では軍隊と一緒である。
とてもじゃないが「生きた教育」とは言えない。

子供たちが心から「いただきます」を言うことができる給食であってほしいものだ。

投稿者 nakimi : 11:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月22日

平安Sのベラージオ出遅れについて   [ Column002 ]

JRAの公式発表

11R平安ステークス(GIII)競走における14番ベラージオ号の出遅れについて
同馬は発走合図時に、発馬機内で突進した際に、鼻端で前扉を押圧したために開扉が遅れたものでありました。
発馬機の誤作動の理由によるものではありません。
なお、騎手安藤勝己に対しては、枠内御法について厳重に注意しております。

というようなことが書いてあったので、録画しておいたスーパー競馬を見直してみた。



なるほど確かにゲートが開いていない。
画像が小さくて確認しづらいが、よく見ると他のゲートと違って明らかに白い部分が見えているのがわかる。

原因は馬が鼻先で扉を押したため、ということらしいのだが、
考えてみれば、ゲートとは馬が収まる場所なわけで、その程度のことは想定して然るべきではないのか。
当該馬の関係者に厳重注意する前に、自らの設備管理をしっかりするという気持ちが欲しいものだ。


-----追記 (1/23)-----
代替開催中山9R ダノンブリエ号、出走取消・・・
そういや、馬場条件の悪化などで出走を取り止めるのは小島太厩舎のお家芸だったね・・・。すっかり忘れていたよ。
でもね 鼻の穴さん 太さん。この馬のために昨日の競馬を我慢したって人もいるんだよ。
もうちょっと考えてくれないかなぁ・・・。
しかもこうやって大事にした馬ほど出世できないっていうジンクスもあるんだよね。ニューヨークカフェとか。

投稿者 nakimi : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月21日

米国産牛肉、再び輸入禁止   [ Column002 ]

米国産牛肉、再び輸入禁止…危険部位が混入
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

食料品の輸入は島国ニッポンの生命線、とは言うものの、危険なものを食べさせられてはたまらない。
政府には毅然とした態度を見せてもらいたい。
ブッシュにシッポを振ることしかできない小泉も、今度ばかりはさすがに黙っていられないだろう。

個人的には、輸入牛肉を使った牛丼などを食べると体調が悪くなるので
輸入再開のメドなぞ立たなくともよいのだが、
焼肉店や牛タン屋などに影響が出ているというのだからヒステリックな反対もしたくない。
アメリカが一刻も早く丁寧な対応をしてくれることを望む。

消費者の立場として一番危惧せねばならないのは偽装表示問題。
これは輸入がストップしている限り起こり得ないことなのだから、国産牛派にとっては朗報かもしれないね。

投稿者 nakimi : 00:27 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月17日

「読み手」の表現方法   [ Column002 ]

プロレスネタを書いていて
「プロレスファンが集まる電子掲示板で観戦報告をすると袋叩きに遭う」という話を思い出した。
試合を観に行けなかったファンからすれば「こっちはまだ観てないんだから黙ってろ」ということなのだろう。
ファンの声を聞いていると、こんなものを「ネットの闇」の一つに数えかねない勢いだったので、
正直「狭量だなぁ」と思ったものだが、それでも気持ちはわからないでもない。
・・・
私も万が一のトラブルを避けるために、防衛戦の結果は書かなかった。
しかし、gooのブログ検索なんかをかけると、詳細な結果がポンポンとHITする。
時代は変わった、ということなのか
それともファンは今でもしらみつぶしに検索しては「仁義が無い」と、叩くのだろうか。

ブログ時代を迎えてから書き手の質が落ちているという意見がある。
では、読み手の質はどうなのだろう。
携帯で閲覧できるようになり、検索は発達し、RSSリーダーなども普及してきた。
このような環境の中で自然と「読み流す」ことが身に付いてしまってはいないだろうか。
自分と同意見のブログばかりコレクションして、反論を見つけると途端に叩き出す人は増えてるような気がする。
私は自分が好きなものについてもできるだけ冷静な判断をするよう努力している。厳しい物言いになることも多い。
たとえば、大泉洋や伊集院光、楽天などについて苦言を呈することもあるわけだが、
その都度、「俺の好きなことにケチをつけるな」などと言われ閉口してしまう。

以前と比べて何が変化したのかと考えると、
「コメント投稿などで、読み手が意見を発するようになった」ということが挙げられるのではないか。
これは一見、良いことのように聞こえるが、実はそうではない。
書き手というものはどんなに杜撰であってもそれなりに考えて文章を発表するものだ。
それに対して、一時の感情で反論したところで健全な議論には発展しないだろう。
・・・
私は以前、音楽専科の中で
「本当のファンならば、批判をした相手の悪口を言うのではなく、批判された倍の量応援するべきだ」
というようなことを語った。
サイト設立から1年も経たない頃の稚拙な文章だが、考え方そのものは今でも通用すると思う。
それは別に、新日派と全日派の因縁みたいなものを否定しているわけではない。
歌手でもスポーツでも、ファン同士の小競り合いというものもまた一つのエンターテイメントだ。
それは別にいいのだが、
「意見を意見そのものとして受け止めずに自分の感情を発散する踏み台にしている人が多い」
ということに対して危機感を感じているのだ。

表現の場を得た「読み手」の皆さんにはぜひもう一度考えていただきたい問題である。

投稿者 nakimi : 18:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月15日

どんと祭 2006 <仙台>   [ Column002 , diary003 ]

今年のどんと祭はあいにくの雨。
数十年通っている我が父をして、「雨のどんと祭はほとんど記憶に無い」というくらいだからよほどの珍事なのだろう。
そんな中、例年通り大崎八幡宮まで足を運んできた。

それでも人の出はそれほど少なく感じなかったのだが、さすがに出店の売り上げは不調のようだ。
多くの店で閑古鳥が鳴いていた。
(しかし、こんなところにまでトレカ屋を出す神経はどうかと思うね)

御神火の勢いも今ひとつ。
夜の9時過ぎだと言うのに、支柱となる竹が全然燃えていないのには驚いた。
雨のせいで煙ばかりがもうもうと狼煙のように上がっているが、例年の火勢は感じられない。


 2004年のレポートで「御神火を写メに撮ってどうしようというのか」と指摘したが、
 携帯カメラの性能が向上し、ブログなど発表の場が増えた今ならわからないこともない。
 ちなみに私は毎年普通のデジカメで撮影している。


もう一つ驚いたのが、神職の方々による誘導についてだ。
この雨の中だというのに、「傘を差さないでくださーい」と、大声で何度も繰り返している。
八幡様の前で傘を差すのは不謹慎、ということらしいのだが、
だとすればフード付きコートのフードだって不謹慎だろう。理屈に合わない。
結局は、混雑を避け、売り物のおみくじ等を飛沫で濡らしたくないがための方便。
つまりは神社側の都合に過ぎないのである。
・・・
いや、神社側の都合、おおいに結構だ。
こっちだって他人の傘で目なんか突かれたらたまらないし、濡れたお守りなんか買いたくない。
ただ、
人間の都合で誘導しているのに、八幡様の名前を出すのってどうよ、と思うわけで・・・。
「他の参拝客の方と接触しないように傘をすぼめてくださーい」
「軒に並べてあるおみくじ・お守りが濡れてしまうのでご遠慮くださーい」
と、言えば済むことではないのか。
神様は人間が傘なんか差してたって笑ってお許しになるでしょうよ。


それと、何度か取り上げた「鳩パン(はとぱん)」についてだが、今年も駄菓子屋「K」の出店は無かった。
代わりを務める駄菓子屋「C」の鳩パンが不細工なのは昨年も指摘したことだが、
その「C」、何を勘違いしたのか、今年は「干支ぱん」なるものを販売。犬型のパンがずらりと並べられていた。

「K」の後釜に入って2年目の暴挙である。
別に企業努力が悪いとは言わないが、伝統の縁起物に対して勝手なアレンジを加えるというのはいかがなものだろう。
仮にバリエーションを増やすことでパンの飾り物が今以上に広く認知されるようになったとしても
肝心の鳩パンが廃れてしまうのでは意味が無い。
「C」さんにはぜひ今一度考え直してもらいたいところである。

参考:
2004年のレポート)(2005年のレポート


最後に
1月12日の河北新報夕刊によると、町内会などによって主催されてているどんと祭が年々減少しているらしい。
と言っても、町内会側がどんと祭に見切りをつけたというわけではなく、
市有地や公園でのたき火が禁じられることで、行き場を失ってしまったのだという。
「市の公園ではたき火は原則禁止だと(仙台市から)指導された」
「煙やにおいがひどいと、周辺住民から苦情がきた」
などの談話も載っており、残念な気持ちにさせられた。

もちろん、伝統を重んじるばかりが地域社会のあり方ではない。
どんと祭に限らず、全体的に考え方が変化してきているのは仕方の無いことだ。
しかし、市が住民から伝統行事を奪ってしまうというのはいかがなものだろう。
これでもし廃れそうになったら税金使って大々的に盛り上げたりするんでしょ?
それだったら最初から頑張ってバックアップして欲しいと思うんだけど・・・

投稿者 nakimi : 10:41 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月10日

自主規制(?)も意味が無く・・・   [ Column002 ]

成人式ネタや青木アナネタを取り上げたいのはやまやまだが、
アクセス稼ぎだと思われるのも心外なのでスルーしていた。
・・・でも、ブログってとどのつまりがデータベースだから、
こっちが最新のニュースに触れなくても、過去の記事がバンバン検索にヒットしちゃうんだね。
これだったら誰よりも早く取り上げて優越感に浸った方が良かったのかも、と思ってしまう。

成人式に関しては、外野が情けない情けないと言ってもしょうがない気がする。
そんなんじゃテレビに向かって文句言ってるお爺さんとなんら変わりない。
廃止や改善を訴えるなら代案の一つも考えてから発言するのがベターだろう。
・・・
成人式の話題はマスコミ側も「騒ぎが起きてナンボ」という取材スタンスだ。
これは昨年の河北新報が極端に記事の量を減らしていたことからも明らかである。
そんな中、Yahoo!ニュースを一つ二つ読んだくらいで「今年の新成人は情けない」などとコメントするのは
ステレオタイプの典型と非難されても仕方の無い行為。
つまり、成人式報道とは、新成人が新成人としての資質を問われているのと同様に
ブロガーがブロガーとしての資質を問われる踏み絵のようなものでもあるのだ。

投稿者 nakimi : 18:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月08日

誘拐された赤ちゃん無事保護   [ Column002 ]

誘拐された赤ちゃん無事保護、身代金目的容疑で捜査
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

穏やかな日曜の朝、のほほんと「題名のない音楽会」を見ていたら臨時ニュースが飛び込んできた。
その段階では赤ちゃんの無事が確認されておらず、心配は続いたが、続報で無事に保護されたと聞きほっとした。

報道協定は当然あるものと思っていたが、結局は身代金目的の犯行だったというわけか。
誘拐を肯定したり擁護したりする要素は1ミリも無いが、
2~3時間ごとに母乳を与えなければならないとか体温が下がると危ないだとかいう話を聞いてしまうと
無事に帰ってくる可能性は低いと思っていたので、その点においては計画的犯行であったことを喜ぶしかない。

本当に金目当てだったのか、病院に対する怨恨があったのかは今後の調べを待たなければわからないが、
犯人と病院側との間にトラブルが無かったとしても、管理体制の面から批判は免れない。
もちろん、全ての通用口にガードマンを配備することは不可能だろうし、
人の出入りにはある程度の融通がきいてくれないと困る。
しかしそれもこれも、問題が起きなかったからこそ認められるものであり、
事件が起きてしまった後に「仕方ないでしょう」と言うわけにはいかない。

すっかり「勝ちたがり」になってしまった日本の社会。
義憤を気取っていつまでも病院を叩くような醜いことはしてほしくないが、
それ以上に、喉元過ぎて熱さを忘れるようなことは許されない。
適度な批判と十分な反省が求められている。

投稿者 nakimi : 10:54 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月03日

正月とブログの関係   [ Column002 ]

ブログ時代を迎えて2度目の正月、という表現で正しいだろうか。(Movable Typeが古くからあることは承知の上だ)

書き手でなく読み手として思うことだが、正月になるとどうしても各ブログ記事のクオリティが落ちてしまうようだ。
その理由はいくつか考えられるが・・・

まず、Yahooなどのニュース配信が滞りがちになることが挙げられるだろう
ニュースをネタにコラムを書いたり、スポーツの結果をネタにしたりする人にとっては厳しい季節だ。
少ないニュースの中からきちんとコラムなりを書き出しているブログは尊敬に値する。
その点、ウチは普段から日々の出来事に潜む問題を掘り起こしているから楽なものだ。

次に、書き手が帰省してしまい実家にパソコンが無いというパターン。
携帯からでも書き込めるのがブログの良いところだが、
小さな画面で作業するので実際より文字数を多く感じてしまい、「これくらいでいいか」と思ってしまいがちだ。
そんな時に限って「長い文章は人を飽きさせるからね」などと正当化したりするものだが、
飽きさせる以前に、読むだけ時間の無駄という状態になってしまってはその詭弁も意味が無い。

何よりも、毎日更新にこだわるのが馬鹿馬鹿しい。
サイドバーに表示されるカレンダーを埋めることばかりに躍起になって中身が伴わないのでは本末転倒。
サーバー容量の無駄遣いだ。

・・・いや、短い記事だってくだらない記事だっていいんだよ。
元旦には初詣の写真をUPして、2日にはおせちの写真をUP、おおいに結構だ。正月気分満載である。
だが、そこで「じゃあ3日目にはちょっと中身のあることを」と思う気持ちが欲しいよね。
でなきゃ自分の意識が高まるまで投稿を控えればいいだけのことだ。
正月ネタは飽きたけど環境や気持ちが整わないから駄文を投稿するというのが一番良くない。

投稿者 nakimi : 21:14 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月02日

1月2日はお買い初めの日   [ Column002 ]

いわゆる初売りについて、ここでは品良く「お買い初め」と呼びたい。
仙台人にとってのお買い初めとは、安い安いとセール品を買い漁ったり、浅ましく福袋に並んだりするためのものではない。
これも一つの正月行事なのだ。

そこを理解してもらえず、隣県の親戚から「アップルストアに並んでもらえないか」と言われてしまった。
もう、どこから憤ってよいやら・・・
・・・
まず、寒い中並べと言うのがおかしい。
安さを目当てに並ばせるのだから、足の出るバイト代など出すつもりも無いのだろう。出されても並ばないけど。
次に、アップルストアとはなんだ、と。
別にiPodを買うなとは言わないが、他人を並ばせてまで正月に買うほどのものか、と。
そして、先に挙げたように、「仙台人にとってのお買い初め」を勘違いしていることも残念だ。
・・・まぁ、仙台人の中にもそれなりのプランを持って電気量販店に並ばれる方はおられるのだろうが・・・。

ところで、2年前(2004年)の1月2日、お買い初めの伝統について危惧した件についてであるが、
今年も元日から営業する店は増える一方のようだ。
・・・そりゃまぁ、
「元日に財布をスッカラカンにされた後では初売りの意味が無い」と思ってしまうのもわからないではないが、
ひとつの伝統行事として受け止める気概を持ってもらいたい。
財布の争奪戦がエスカレートしていけば31日から大セールなんてことも起きかねないよ。

投稿者 nakimi : 17:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月26日

有馬記念、ディープインパクト2着   [ Column002 ]

半馬身差に涙…敗れた3冠馬の「ディープインパクト」

前夜から徹夜で開場を待ったという千葉県習志野市の会社員男性(27)は
「あと100メートル、いや10メートルあれば……。信じられない」と、ぼう然。

信じられません、か。・・・ま、信じる信じないは人それぞれだけどね。
そんな言い方をしていいのなら、直線があと100メートル短ければアドマイヤジャパンはディープに2回勝ってますよ。
そもそもハーツクライのあの末脚を見ると10メートルやそこらで追い抜けたとは思わないけど。

ゴール板近くには、涙を浮かべてうなだれる女性もいた。

感受性が高いのは結構なことだが、常勝無敗の馬が負けて泣くというのが私にはわからない。
いや、私も過去のVTRを見て涙を流すことはある。
トウカイテイオーの有馬記念は胸が熱くなるし、エガオヲミセテの勇姿を見ると涙腺が緩みっぱなしになる。
ただ、今まで勝ち続けた馬が目の前で負けたからさあ泣きましょうという気にはなれない。
・・・
本来の競馬ファンなら「まだ3歳馬なのに世界レコードタイのハーツクライに肉薄した」と感嘆するところを
過熱報道のせいで誰も喜んでいない。競馬がおかしな方向に行ってしまうのではないかと心配である。
そう、
競馬コーナーでも指摘したことだが、そもそも過熱報道が良くないのだ。
それぞれの馬にドラマがあり、それぞれの陣営が努力をしていることも忘れてディープ一色。
 ディープ特集を組むのは構わない。
 レースになってディープ専用カメラがあるのもまぁいいさ。
 パドックでディープばかり映すことはもう諦めた。
しかし、調教の様子や到着後の様子などは重要なデータなのだから、均等に時間・行数を配分すべきなのだ。
・・・
「ディープは勝ちますよ」と、煽りに煽って、他馬の情報はどこにも書いていない。
それで公約通りにディープが勝てばいいが、負けた時、ファンが馬券を外した責任を負う覚悟はあるのだろうか。
・・・
ちなみにサンケイスポーツは、毎日データを小出しにして減点方式で勝ち馬を導き出すという企画がメインだったが
これが見事なまでの提灯報道。なんとかディープを100点のまま最終日を迎えたいというのがありありと見てとれる。
ちなみに、勝ち馬ハーツクライは28点減点の72点で脱落組の烙印を押されていた。


そこまでして作られた"英雄"ディープインパクト。
誰のための英雄かと言えば、JRAの売り上げに貢献するために存在しているようなもの。
しかし、

 日本中央競馬会によると、有馬記念の売り上げは、前年より約16億円少ない499億927万6600円だった。

とのこと。
つまり、昨年のコスモバルクフィーバーの方が競馬ファン(にわかファン除く)の心を掴んでいたというわけだ。
もう、一体、なんのために神輿を担いでいたのかわからなくなるような結果だね。


-----追記-----
インパクト伸びない…衝撃的2着~有馬
声をあげて泣いていた女性もいたらしいね。馬鹿馬鹿しい。
ディープが美しいレースをしたのはダービーくらいのもの。今回の敗戦も前回の菊花賞もレースの本質は変わらない。
そんなこともわからずに勝つことが全てだと考えているから日本がどんどん腐っていくんだ。
(※参考記事:「勝つための義憤」)
ゴール板の前だけが競馬じゃない。にわかだろうがファンを自称するならそれくらいのことはわかってもらいたい。

・・・しかし、ハーツクライの厩舎にカミソリレターでも届くんじゃないかと心配だよ。

投稿者 nakimi : 00:18 | コメント (1) | トラックバック

2005年12月09日

ここにも「勝ちたがり」が一人・・・   [ Column002 ]

ドン・キホーテ:六本木店・屋上コースター、反対運動で営業断念 /東京
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

深刻な騒音公害になる可能性もあり、反対運動を行う地域住民の気持ちはよくわかる。
ただ、犯罪を犯したわけでもないのに
>ドン・キホーテ側に反省の言葉はなく
などと語る六本木商店街振興組合の新保雅敏理事には、「勝ちたがり症候群」の症状が見える。

自分たちの権利を主張するのと相手に謝罪させるのは意味合いが全然違う。
迷惑を被る前なのに「反省してない」と悪者扱いするのはいかがなものだろう。

そもそもスノーボードの競技場が治安不安を招くという理論も支離滅裂だ。
道路でスケートボードの練習をされるよりもよっぽど安全だと思うのだが。

投稿者 nakimi : 20:27 | コメント (0) | トラックバック

児童が巻き込まれる犯罪について   [ Column002 ]

ここ数週間、児童が犯罪に巻き込まれたというニュースが多く目に入ってきて気が滅入る。

景気も上向き(実感は無いが)、テロや戦争の不安もとりあえずは感じずに済む今、
矛先が弱者に向けられるというのはどういうことなのか。
幼児性愛が指摘されるニュースもあるが、それだけで説明はつかないだろう。
やはりどこか、社会が病んでいるのだ。
病理は嘘をつかない。
誤魔化しの改革やまやかしの好景気や偽りの平和を見破って、社会に牙を剥く。
・・・これを回避する方法は一つ。
一刻も早く、日本という国が本当の平穏を得られるよう、努力するしかないのだ。

--------------------------------------------------
もちろん弱い立場の児童は守られなければならない存在だ。
ただ、世間がそれ一色に染まってしまったようで、ちょっと不遜な疑念も湧いてしまう。
行方不明の児童を600人態勢で捜索しているという記事を読んで思ったのが
例えば今、痴呆症を患う老人が行方不明になったとしたら、数百人の捜索隊を組んでもらえるのだろうか、ということ。
・・・何か、こう、「今、社会的に問題になっているから、全力で捜索しないと後が大変だぞ」という空気を感じてしまう。

もちろん子供を持つ親御さんの立場からすれば
「そんな空気がいつまでも続いてくれればいいのに」と思って当然だが、
一種のブームになったような視点で犯罪に対していると、大きなしっぺ返しがあるような気がしてならない。


-----追記 (18:55)-----
こんなことを書いていたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。
なんと、諏訪の男児行方不明事件で目撃証言をした女性が虚偽であったことを認めたという。
(参考リンク:<長野小5不明>女性の目撃情報はウソ / いち早くこのニュースを取り上げた雪ノ助さんのブログはこちら
嘘をついた動機は「注目されたかったから」とのこと。
私の予感が悪い方に的中してしまったというわけか。

投稿者 nakimi : 17:54 | コメント (1) | トラックバック

2005年12月03日

くすりのセイジョー   [ Column002 ]

以前、どらっぐぱぱすで嫌な思いをしたので
今回はくすりのセイジョーに行ってみたのだが、ここでもトラブルに巻き込まれてしまった。
つくづく私は薬屋と相性が悪いらしい。

と、言っても別にたいしたことではなく、
レジの人(ネームプレートには店長と書いてあった)が打ち間違って
168円の品物に対して倍の336円を支払うことになってしまったというもの。
しかも私がすぐに気付いて引き返したので返金もスムーズだった。

この店長さんはレジ打ちのときから非常に腰の低い、物腰の柔らかな人だったので、
あまり追求して恥をかかせるのもなんだなと思い、こちらも自然と低姿勢になってしまった。
ただ、ふと思ったのだが、168円を返してもらったのはいいけど、消費税ってどうなってるんだろう。
内税?外税?はじめて入った店だからよくわからないんだけど、外税だと微妙にズレが生じるよね。
レシートを回収されてしまったので確認のしようがない。


しかし、これだけドラッグストアが乱立すると、
ちょっとのミスでも「ああ、次からは別の店に行けばいいや」と見限られてしまう。
ポイントカードで客をつなぎとめる方法も今となってはそれほど有効な手段とは言えない。
下手をすれば同じ町内に同じチェーンの店が何店もある乱立時代では、
「同じマツキヨでも橋を渡ったところの方が雰囲気いいわよ」なんてことになりかねないからだ。
もちろん、多少のポイントよりサービスを選ぶ客が増えたということもあるだろう。

扱う商品が商品だけに、ヤケクソでドンキホーテのようになることはないだろうけど、
薄い店で町を網羅されるよりも濃い店がドンと一軒あった方が安心できる。
「目標○○○店舗!」なんて掲げるばかりでなく、「町の薬剤師」のあり方を考え直していただきたいものだ。

投稿者 nakimi : 07:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月02日

スキウタ歌手はバッサリ落選   [ Column002 ]

隙だらけだったスキウタ作戦…中年無視の老若歌合戦に
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なんかもう・・・叩く材料さえあればいいというのがミエミエの記事でイヤになる。
落選し、記事の中で被害者扱いを受けている橋幸夫とそのファンだが、
中間発表の時には後援会の組織票疑惑を報じていたではないか。
「報道は中立。どちらの味方でもない」と言えば聞こえはいいが、要は義憤を煽って新聞を売りたいだけでしょ。

叩く相手が欲しくて仕方が無いという風潮は大変に危険だ。
少し前に「勝つための義憤」というテーマでコラムを書いたが、今回のニュースもまさにそのようなスタンスのもの。
勝つことが必要なのであって、正義とか義憤の中身は二の次三の次という空気には寒気を覚える。
ただでさえ殺伐としたニュースが飛び交う今、無理に悪者を作り出す必要があるのだろうか。

確かに、NHKのアンケート方法に不備があったのも事実だが
スタイルにこだわれば低迷と書かれ、若者に迎合すれば話題取りと書かれるのではたまったものではない。


「歌謡コンサート」の観覧は受信料を払っている人しか申し込めないのだから
「すきうた」のアンケート用紙も世帯に一枚と決めればよかったのにね。
・・・まぁ、それでも後援会は票集めに必死になるだろうから、完全に公平というわけにはいかないんだろうけど。

投稿者 nakimi : 20:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月24日

臓器移植を思い出すリストバンド?   [ Column002 ]

広がる移植啓発の輪、リストバンド10万本配布
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このニュースを見てホワイトバンドと比較する人が多そうだ。
「啓蒙活動なのだから無料で当然。むしろホワイトバンドが有料であったことの方がおかしい」
みたいな書き方をする人もいるだろう。
しかし、私に言わせればこの臓器移植バンドの方がよっぽど恐ろしい。
なぜって、仮にこのバンドをしている人が病院で「もう助からない」という状況に陥った場合、
意思表示カードを携帯していなくとも
「このバンドをしているのだから臓器の提供に理解がある」なんて拡大解釈をされかねないからだ。
そもそもその意思表示カードにしても、
「本人が提供すると言っていたのに家族が反対して・・・」と、家族が身勝手であるかのように報じる向きがある。
それが加速するのでは、という不安を感じずにはおれない。

何週か前のバツラジで
「家族を白血病で亡くした人でさえ、ドナー登録には二の足を踏む。全身麻酔の危険性についての周知も浅い」
というようなことを伝えていたが
臓器移植もこれに近いものがあるように思う。
それなのに、ただバンドを配って
>臓器移植に関心はあったが、行動に移せないでいた若者たちの関心を集めたようだ
なんて喜んでいていいのだろうか?
臓器移植とはどういうもので、誰と誰にどういうリスクがあって、どういった人の命が救われるのか
そういうことがまったく伝わってこない。

・・・それ以前に、「関心はあるけど意思表示できなかった若者」ってどれくらいいるのだろう。
「意思表示カードは持ちたくないけどリストバンドなら」なんて人が本当にいるのか?
ホワイトバンドは「ファッション感覚である」という批判を受けた。
このリストバンドは重いテーマを背負っているだけに、気軽に入手する人は少ないように感じる反面、
無料だからと取り寄せる人がいてもおかしくない。

この、「黄色と緑のリストバンド」は、日本臓器移植ネットワークという存在を世に知らしめるのには十分役に立った。
今後はこの路線を引きずらずに、
臓器移植とはどういうものであるか世間一般に深く認知してもらえるよう、具体的な説明に力を注いでいただきたい。

投稿者 nakimi : 21:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月18日

耐震強度偽装、新築ホテルが営業中止   [ Column002 ]

耐震強度偽装、新築ホテルが営業中止
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千葉県市川市の姉歯建築設計事務所による構造計算書偽造問題、いわゆる<ニセ耐震>問題を受け、
都内のホテルが当面の営業中止を決めたという。
当然のこととは言うものの、勇気のいる決断であったことは間違いない。フェアな態度だ。

それに対して、記事中に出てくる宿泊客である大阪のOLは
>「起きたらドアの下にホテルからの紙が挟まれていて、事実関係を初めて知った。
>何もなかったからよかったが、もし大地震が起きていたら誰が責任をとるのか」と、憤った様子だった。

とのこと。
・・・この人、何に対して憤っているのだろう。
「もし大地震が起きていたら」という前提で「責任」を語ること自体、ピントがずれている。
大地震が起きてホテルが崩れて自分が死んだときのことをリアルに想定しているとはとても思えない。
「私は死ぬけど責任が全うされるならいいわ」なんて考えているはずがないからだ。
結果、何も起きなかったのであれば宿泊客が「怯える」ことはあっても「憤る」理由は無い。
ゴネれば何か貰えるとでも思ったのだろうか。

それにしても、姉歯秀次・1級建築士の言い分も凄いね。
>イーホームズの審査の段階ではねられると思っていたが通ってしまい、驚いた。
って、まるで善意の第三者みたいな口ぶりじゃないか。
「人を刺したが警察に捕まらなかったので二人、三人と刺し続けた。悪いのは無能な警察だ」
なんて理屈が通るはずもないのに、よく堂々とインタビューに応えられるもんだよ。

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2005年11月16日

勝つための義憤   [ Column002 ]

ホワイトバンドに憤った人間が国税局に対して働きかけている、という記事を読んだ。
以前も述べたように、私は擁護派でも撲滅派でもない。
積極的にあんなものをつけて町を歩くつもりはないし、
逆に「お前ら騙されてんだよ、俺は頭いいから気付いてたけどな!」と叫んだりするのは恥ずかしいことだと思う。
ただ、国税局が動くかどうかについては興味がある。

私は、「手首を見て寄付する気持ちを思い出す」という考え方そのものは評価すべきだと思っている。
腕輪に300円使って寄付する額が10円だって全然構わない。
募金箱に寄付したその三歩先で道にガムを吐き捨てる馬鹿はおるまいし、
赤い羽根をつけて親父狩りをするような阿呆もいないはずだ。
あのバンド一つで皆の気持ちが穏やかになるのであればそれはそれで良いことだと思う。
だから、「俺たちは騙されていた」なんてチャチな旗を掲げて義憤に酔う連中を好きにはなれなかった。
購入した人が全員趣旨を理解していなかったかのように語るのも独善的な情報操作だしね。

しかし、問題が税金に発展するということになれば話は違ってくる。
ご苦労なことに義憤を燃やし続けた方々が経費を計上し、不明な部分について指摘しているらしい。
現段階ではどの情報を信用してよいものか判断つきかねるので引用はしないが、
キッチリ取り立てられると相当アツいことになりそうだ。
(まぁ、どこでも大なり小なり節税はしているから、「キッチリ取り立て」は警察のネズミ捕りに遭うようなものだろうが)
純粋な経済活動として見た場合、どれくらいの税金が課されるのか、ある意味見物である。

--------------------------------------------------

今年の総選挙で、マスコミが自民有利と報じたらますます自民に票が集まったのは
現代の日本人が勝ち馬に乗りたがる気質に変化しているからだ、という分析があった。
ディープインパクト人気も似たようなものだろう。ネオユニヴァースの時はここまでの騒ぎにならなかったのに。
・・・いや、勝ち馬に乗るのは別にいい。
私はカッコ悪いと思っているからやらないけど、勝利の喜びを味わいたいという気持ちはよくわかる。
だが、味をしめてやたらと勝ちたがるようになるのは恐ろしいことだ。

ホワイトバンドにしてものまネコ問題にしても、
以前だったらここまで大騒ぎせず、「俺たちの手で問題提起した。満足満足」と、なっていたはずなのだ。
しかし今は違う。ジャッジが勝利を宣言するまで気持ちが収まらないのだ。当人に実害も無いのに。
世の中なんて、そうキッチリと勝ち負けにわかれているものじゃないんだ。
そもそも、彼らに勝つ喜びを与えてくれた自民党の圧勝だって、
「いろいろ問題はあるけど、とりあえず小泉さんで」という民意をあらわした結果じゃないか。

勝つ喜びを得るためなら誰を傷つけても構わないなんて、まるで放火魔の考え方だよ。
誰かこのおかしな風潮を糾してくれるヒーローは現れないものか・・・。

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2005年11月15日

山交バス値上げ   [ Column002 ]

高速「仙台―山形」間値下げ競争 山交バスもう撤退?
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Yahoo!のトップにくることもない小さなニュースだが、
関東バスの事故について大きく報じられていたので、<地方交通>の関連記事として見つけることができた。

私自身は利用したことのない路線。
ただ、近しい知人が山形市内の自宅から仙台の大学に通っているので他人事ではない。
一往復100円の値上げとなると結構な負担だ。

原油価格の高騰は自然災害も絡んだ世界的な問題だし、
我々末端の利用者だけが権利を主張するのは無責任な話なのかもしれない。
・・・とは言え、回数券の値上げ率くらいはもうちょっとどうにかできなかったのだろうか。
二枚つづりで100円の値上げは仕方ないとしても、
六枚つづりで600円の値上げって、ちょっとひどいんじゃない?
それだけ頻繁に利用する乗客をないがしろにするってのはいかがなものかと。
(定期券買えよってのも一般利用者には酷な話。電車と違って途中下車でペイすることもできないしね)

河北新報の誤記だと思いたいところだが・・・
山交の公式サイト(画像は今朝のキャプチャ)を見るとまだ値上げ前の運賃が表示されていた。


これで、値上げ前の料金が3600円であるという部分については確認が取れてしまったわけだ。
あとは600円値上げ説が誤報であると願うしかない。

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2005年11月04日

コンビニごみ箱“封印” 持ち込み「我慢限界」 仙台   [ Column002 ]

コンビニごみ箱“封印” 持ち込み「我慢限界」 仙台
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新寺のローソンと言うと、ここしか思い浮かばないのだが、
ゴミ問題に悩まされているとはまったく気付かなかった。

と、言うのも、この土地は横断歩道の連絡が悪く、
仙台駅方面に用がある人はもっと手前(地図で言うロイヤルホストの方)で横断するのが常識となっている。
このローソンは、近所に住む人でなければほとんど通りがからない店なのだ。
地図を拡大すると一見、仙台駅からも近いように見えるが、この道を通って帰る人はごく一部だ。

そんな状況から考えても、
車でやってきたマナーの無いドライバーや仙台駅の利用者が通りがけにゴミを捨てていったと想像するのは難しく、
近所に住む人間が犯人であるということがおのずと導き出される。
若林区新寺に住む方々には意識を改めていただきたい。

もしゴミの収集所が対岸にあった場合、上記のような理由から甘えたくなってしまう気持ちもわからなくはないが、
だからと言って、商店の軒先をゴミ置き場にするなど、バブル期の地上げ屋並の迷惑行為だ。許されるものではない。

全国の皆さんには
悪いのは仙台市民でも仙台市若林区民でもなく、
仙台市若林区新寺という、ごくごく限られた地域の住民であるということをご理解いただきたい。

投稿者 nakimi : 21:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月02日

プチクリとインスパイヤ   [ Column002 ]

金曜深夜の「爆笑問題のススメ」にゲスト出演していた岡田斗司夫氏が
「プチクリ」という聞き慣れない言葉を広めようとしていた。
「クリエイターで生活できる人なんてほんのひと握り。それにあぶれた人が挫折感を味わう世の中じゃつまらない」
という考えから、遊びでも仕事でもない、プチクリエイターを育てようという試みらしい。

その時はなるほどと感心して見ていたくらいだったのだが、今週になって面白いサイトが次々と目に入ってきた。
代表的なのがこちら
http://inutsukaai.hp.infoseek.co.jp/hanasaki/inspire.html
Ayumi* Hanasakiという歌手の「インスパイヤ」という曲が公開されている。
これは、「avexにインスパイヤされて曲を作ろう」というプロジェクトから生まれた曲らしい。

善良なクリエイターからすれば「パクってる会社のものはパクり返してもいい」という論法は迷惑極まりない。
以前紹介した木村貴志氏もそれを危惧しておられた。
・・・
・・・とは言うものの、岡田氏言うところの「プチクリ」精神からすれば
こうした形で一般の人間が音楽をつくると時代がきたということはたいへんに喜ばししいことだ。

ちなみにこのプロジェクトは現在第二弾が進行中で、
犬塚藍「ぱくりんぼ」という曲がテスト公開されている。
http://inutsukaai.hp.infoseek.co.jp/paku.html
現在視聴できるのはサンプル盤だが、これも実によくできている。
Ayumi* Hanasakiと違って元ネタを知っているだけに感心してしまうほどだ。


avex側はこれに対して「大企業ナメんな、訴訟で震え上がらせてやる」などと居丈高に対応してはいけない。
うまく懐柔して取り込むか、さもなければ大急ぎで新人歌手を育成すべきだ。

ネットで生まれたこのプロジェクトは一見すると「目には目を」の幼稚な戦術にも見えるが、
重要なのは、これだけのものをつくることが出来る人間が存在していて、
それを豪気にフリー配布しているということである。
・・・もちろん、レコード会社が儲かるか儲からないかというのは
優秀な人材・楽曲を保有しているかどうかよりも、いかに世論を味方につけるかということにかかっているので
「優秀なクリエイターのフリー配布」が、イコール「avexの売り上げ減」につながるというのは早計かもしれない。

しかし、

Photoshopで一斉を風靡したAdobe社が安価なElementsシリーズを出すことになったのは
フリーのフォトレタッチソフトが優秀になりすぎたからだとも言われている。
それでも、ブランド力のあるPhotoshopやPremiereはまだいいが、
Adobeの名のもとに売り出せば確実にヒットするという時代は終わりを告げた。
新しいソフトを開発してもそれに見合うだけの売り上げが見込めるかどうか慎重にならざるを得ない。
それと同じことで、
浜崎や大塚といった、固定客に売れる大看板はともかく、これから売り出そうという新人歌手は大変だ。
「誰これ? これに1200円も出すならフリー音源聴いてた方がいいよ」
なんてことになりかねないのである。
飽きられればそれまでという世界で、新人の育成にブレーキがかかるというのは非常にマズい。
5年後10年後を見据えて考えると、
「ネットでピーチクパーチクやってるらしいが、訴訟をチラつかせて脅せば治まるだろう」
なんて構えてはいられない。
新しい時代がもうそこまで来ているのだ。

最近では、「ハンドルネームでの批評は批評として認められない。web上で曲を引用することはまかりならん」と、
圧力をかけて、大塚愛のパクり疑惑検証サイトを潰しにかかっているavex社。(参考:12
そんなことをしている場合ではないのでは?
「プチクリに食われました」なんてことになったらどうするの?

投稿者 nakimi : 07:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月31日

モリゾーとキッコロ 家電量販店が無断で客寄せに利用   [ Column002 ]

<愛・地球博>モリゾーとキッコロ 店が無断で客寄せに利用
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「森に帰った」はずのモリゾーとキッコロが家電量販店の客寄せに無断使用されたらしい。

この家電量販店、記事では伏せてあるが、店舗のオープン時期から見てどうもEiDEN(エイデン)のようだ。

「みんなのものだから大事にしよう」
と、考えるのか
「みんなのものだから自分にも権利がある」
と、考えるのか
企業としての姿勢が問われそうだ。

客寄せと言ってもモリコロをプレゼントしたというわけではないのだから、大問題には発展しないだろう。
ただ、万博協会が眉をしかめているのを見てどう対応するかでこの企業の色が決まると言っても過言ではない。
できれば誰も不快な思いをすることなく終結させてもらいたいものだ。

投稿者 nakimi : 20:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月30日

ウンチク語り語られ   [ Column002 ]

コンビニでこんな本を見つけた。

私が落語鑑賞のバイブルとしている、古谷三敏先生の「寄席芸人伝」である。
どうやら、最近よくある選り抜き再編集版ということらしい。
落語ブーム便乗などではない。この本は20年以上前から我が家の本棚にある名作だ。
・・・それに、ブーム便乗にしてはちょっとのんびりしすぎた感があるしね。
ちなみに表紙は「しめたの左遊三」だと思うのだが、この本には収録されていなかった。
(「しめたの左遊三」で検索したら一件しかHITしなかった。それも作品のファンではなく電子書籍のサイトのみとは・・・)

この本は数年前に文庫化されたが現在はそちらも絶版。
(池袋の文庫専門店に調べてもらったので間違いない)
それを考えると選り抜き版の発行を喜ぶべきではあるのだが、どうも素直になれない。

私は酒類に関しても多少の知識があるつもりでいるわけだが、
たまに友人とそうした話になった時、持っている知識を披露すると
「あ、そう言えばレモンハートにそんな話があったね」などと言われることがある。これがもの凄くイヤなのだ。
確かに、「BARレモンハート」も酒のバイブルだが、
そこから枝葉を伸ばして様々なカクテルブックを読み漁ったりした経験まで全否定されたような気になってしまう。
(矛盾しているようだが、誰かが明らかに引用を隠したウンチク語りをしていればそれは蔑視の対象となる)
大体にして、昨日今日コンビニでレモンハートを手に取ったくらいで
「ウンチクの元ネタを射たり」などとしたり顔で語られるのは不愉快極まりない。
こっちは10数年前に読んで噛み砕いた知識なのに・・・

それと同じで、今度は
「あ、その落語ネタ、『寄席芸人伝』にあったね」なんて言われるのではないかと思うと、気が気ではないわけだ。
寄席芸人伝を読んで興味を持った噺について調べたり、
落語会で聞いてなるほどそういう意味だったのかと反芻したりしてきた。
それを、たまたまコンビニで見つけた本をパラパラとめくった奴に
「あ、あのフレーズこの本にあったぞ。ウンチクの元はここだな」などと、
まるで簡単なことであったかのように思われてしまう。これがイヤなのだ。


同じく古谷先生の名作「減点パパ」の中にこんなシーンがある。

 中華料理屋に行った家族の前で飲茶のウンチクを披露するパパ。
 ひと通り言い終えて食事が終わった頃に支配人がやってきて、
 「減点さん、料理長が減点さんによろしくとのことでした」と言う。
 これを受けたママが「さてはさっき仕入れたばかりのウンチクだったのね」と突っ込むと
 「うむむ、ウンチクとはそういうものなのだ」と、パパは苦い顔をする。

これは、パパのみっともない部分を笑う滑稽話だ。
しかしどうだろう。我々はこのパパを笑えるだろうか。
中華料理のウンチクを知るためにその店の料理長と話をする人がどれだけいるだろう。
そこまでいかなくても、料理書に目を通す人がどれだけいるだろう。
「トリビア」や「うんちく王」を見て知ったつもりになってしまう人が大半ではないか。
ウンチクは仕入れることが重要なのであって、垂れ流されているものを拾ってもそれは無価値なものなのだ。
減点パパを読みながらトリビアを見ると、改めてそう感じる。

トリビアを見て知ったウンチクと、自分で調べて知ったウンチクでは
同じ答えであっても、計算機と暗算 / 自動翻訳機と英検一級くらいの違いがある。
もちろんそれはそれでいい。電卓には電卓の価値がある。
ただ、他人の知識まで軽んじる傾向にあるのは許せないな。

投稿者 nakimi : 05:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月26日

ペプシおまけのガンダムは「懸賞品」…公取委が注意   [ Column002 ]

ペプシおまけのガンダムは「懸賞品」…公取委が注意
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この記事、何度か読み直すまで意味がさっぱりわからなかったが、
注意して見てみると、おかしいのは記事本文ではなく見出しだということがわかる。
「おまけのガンダムは懸賞品であると言う認定を受けているので、その範疇を超えた今回は注意されることになった」
という内容なのに、こんな見出しでは
「本来、『おまけ』というファジーな存在だったガンダムについて、公取委が『これは懸賞品にあたる』と注意した」
ように勘違いしてしまう。
"読売スポーツ"の記者が決めた見出しなのか、Yahoo!側で用意したのかは知らないが、
無意味なミスリードはやめていただきたい。・・・いや、意味のある情報操作も困るけど。

記事本文については、あまり興味が無いのでどうでもいいといった感じ。
うちの父がこういうのを集めるのが好きなので、
(と言っても、目を血走らせてコンプリートを目指すわけではなく、「捨てずに取っておく」という程度だが)
実家にはボトルキャップが十数個置いてあったが、私はコーラが嫌いなので手伝うこともできない。

ただまぁ、袋の透明化はいいことだと思う。
コンビニの冷蔵庫にたむろして袋をベタベタ触っている連中を見るのは気分が悪いものだ。
他の商品もぬるくなるし振動の影響は受けるしで、コレクター心を満たす以外には何のメリットも無い。
よく知らないので数字は適当になるが、
キャンペーン期間を1ヶ月、15種類のオマケがあるとした場合、2日に1本はコーラを買ってもらえるわけだ。
その時点で販促活動としては大成功だろう。
中身を見えなくして30本も40本も買わせようなんて、あこぎもいいところだよ。

大体にして、人形目当てで買われたコーラが可哀想だ。液体だからビックリマンよりよっぽど捨てやすいしね。
販促もほどほどにしないと、開発技術者から白い目で見られるよ。

投稿者 nakimi : 08:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月25日

米国産牛肉 輸入再開へ   [ Column002 ]

<米国産牛肉>輸入再開へ 安全性大丈夫? 消費者ら複雑
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追記の全文が長いので短めに結ぶけど、牛肉輸入問題くらい立場に応じたコメントが聞ける話題も無いよね。

牛タンの振興会会長大川原氏のコメントは、安全性には一切触れずに輸入量を確保するよう求めたものだった。
「マスコミはインタビューをブツ切りにして都合のいい部分だけを利用する」
ということが当たり前のように取りざたされる昨今だが、今回の場合は、
話の流れから言っても「安全性には疑問があるが、大量に輸入できるようしてほしい」では矛盾してしまう。
大川原氏は安全面について言及しなかったと見ていいだろう。

これを身勝手だと罵るのは簡単だし、消費者の立場としては怒りも湧いてくる。
しかし、牛タン屋の立場としては、何よりも以前通りの営業を再開したいという思いが第一にくるのだろう。
それを誰が責められようか。
振興会は振興会なりの立場で、安全な食を提供する努力をしてくれるものだと信じたい。


・・・まぁ、正直に言うと、私は仙台出身だけどあまり牛タンが好きではない。
味は嫌いじゃないんだけど、食べていると次第に気持ち悪くなってくる。
また、牛タンとは違うが、吉野家の牛丼を食べると必ず下痢になっていた。
そんな私からすると、BSEの危険を孕んだアメリカ産牛肉輸入再開を応援する理由は一つも無い。
国産牛という良貨を駆逐する恐れがあるというのであれば尚更だ。
・・・
よく「楽天が頑張れば仙台も活気付くんだから」と言ってくる友人がいるが
その友人からすると、牛タンをどうでもいいと公言する私は郷土愛に欠けている、ということになるのだろうか。
カネや一時の盛り上がりに節操無く飛びつくことが郷土愛だとはとても思えないのだが・・・。

投稿者 nakimi : 12:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月19日

漫画の表現盗用、2chの指摘で絶版・回収に   [ Column002 ]

漫画の表現盗用、2chの指摘で絶版・回収に
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この話、昨夜のバツラジでまるで過去のことのようにサラっと語られていたので
何の気なしに「エデンの花 スラムダンク」と検索したがなにもヒットしなかった。
朝になってYahoo!を見てようやく最新ニュースであることを知った。
それにしても2chで騒がれていたのなら検索でHITしてもよさそうなものだが・・・。はて。

それはそれとして
パクリ問題が出てくると必ず「計らずも似てしまうことだってある」と、擁護するファンが出てくる。
もちろん意図してのことかどうかは本人と編集くらいしかわからないことだが(今回は盗用を認めているという)、
この理屈自体もどうかと思う。
例えば音楽の場合、音符の組み合わせはクラシックの時代にやり尽くされているはずだ。
しかし、現代まで新しい音楽が創られ続けているのは、作曲家が独自性を出そうと努力しているからなのだ。
漫画だって同じこと。
「ほとんどのパターンは手塚先生がやり尽くしちゃったんだ。だからしょうがない」というのは詭弁なのだ。

また、上のような詭弁を使うファンに限って、著作権問題では
「著作権使用料が支払われなければ、誰も新しいものを創ろうとしなくなる」などと言う。
おかしな話だ。
二つの理屈を組み合わせてできる結論は
「パクったりリメイクしたりで作品を多産して、それらの利用料を徴収すればクリエイターが肥える」
という、腐った構図でしかない。

クリエイターに敬意を払うのは素晴らしいことだが、
「私はクリエイターに対する理解がある人間である」などというこだわりを持ってしまうと
見えるものも見えなくなってしまうことがある。
上の例で言えば
「ほとんどの~」
「著作権使用料が~」
理屈の上では正しいことを言っているように見える。さてどこに落とし穴があったのだろう。
それは
「ほとんどのパターンは手塚先生がやり尽くしちゃったんだ。だからしょうがない」の
「だからしょうがない」という部分だ。
ここは完全に、「私はクリエイターに対する理解がある」と自称したい人間の感想であり、理屈ではない。
作者をかばいたいという「感情」からスタートし、
その感情に説得力を与えるために「理屈」を構築するから詭弁が出来上がってしまうのだ。

私だってファンの気持ちがわからないわけじゃない。
しかし、見えてしまった詭弁を隠してあげることはできないのだ。
・・・
詭弁も看破されなければ正論になる。
パクリ問題が囁かれる作家やアーティストを救いたければ、自分の感情を押し殺して理屈を磨け。
私にできるアドバイスはそれだけだ。

投稿者 nakimi : 08:36 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月17日

楽天とTBSについて   [ Column002 , Radio ]

楽天がTBSの筆頭株主となった件について。

10月16日放送の「伊集院光 日曜日の秘密基地」では、
TBSラジオの内部で配布された「TBS株大口保有関連ニュースの取り扱いについて」という書面を取り上げていた。

「TBSラジオはTBSの100%子会社であり、この件の当事者にあたります。
当事者の放送を通じて両社の思惑や今後の展開など、憶測に基づいた内容をコメントすることで
株価に影響を与え、ひいては株価操作との指摘を受ける恐れもあります。
つまり、どちらかに有利な見解を示しただけでも、株価を吊り上げる要素となり、
時価総額を操作する放送を行ったと訴えられる恐れもありますので
このニュースに関するコメントは控えて欲しい」

という内容だった。
もちろん株価操作というだけでもおおごとなのだが、今回の件についてはさらに深い事情がある。

金融ジャーナリストの須田慎一郎氏が
 楽天は時価発行総額こそ1兆円を超えているが手元資金はカツカツで、
 今回のTBS株取得に費やした資金もそのほとんどを金融機関からの借入金で賄ったという。
 取得価格はTBSの実勢価格を大きく上回ったものであり、
 もし仮にTBSの価格が下落に転じるようなことがあれば、楽天はパンクする。

と、分析しているように、
現状での株価操作というのはとんでもない破綻を招く可能性があるのだ。
だからこそ楽天は「敵対的買収」ではないことを強調しているのだろう。
「敵対的買収者」であると認められてしまうと、TBSは新株を発行できるというルールがある。
と、言って、TBSから見れば筆頭株主であることは間違いないわけで、
「敵だ!殺しちまえ!」という相手でもない。
・・・たいへんに複雑なのだ。

伊集院氏が上の書面を紹介する際に
「『伊集院のバカはあれに関して何をしゃべるんだろう』
っていうことを期待してこの放送を聞いてくれる人もいると思うが」
と、前置きしたように
社会問題について独自の視点で風刺コメントを出すような・・・
少し大袈裟な言い方をすればアナーキーなタレントがラジオには多く、リスナーもそれを期待しているところがある。
伊集院氏もそうだし、先日ちょっとした騒ぎになった宮川賢氏もそうだ。
彼らに期待するのは自由だが、上で説明したように、
何かあったら首を吊る人間が一人や二人じゃ済まないような大問題だということを理解しないことにははじまらない。
「ただラジオを聞く人」にはなんの責任も求められないが、
「リスナー」には最低限の知識と常識が求められるのだ。

特に宮川氏の番組には清水社長がたびたび出演することもあって、
「爆弾発言お墨付き」みたいに捉えている人が多いと思うが
だからと言って何をしても許されるというわけではない。
先日の放送については「いやギリギリ隠したじゃん!」という意見もあるだろうが、問題はそういうことではないのだ。



・・・そりゃ、本音を言えば、私だって両氏の番組をチェックしているくらいだから
彼らにフツーの常識人としての姿なんか求めちゃいないさ。
ただ、何か事が起きたときに「いい子いい子、かわいちょおね」と言うだけがファンじゃないはずだ。
「これは問題ですよ伊集院さん」「あれは行き過ぎじゃないですか宮川さん」と、
言える勇気を持つのもリスナーの資質じゃないのかな?

投稿者 nakimi : 19:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月07日

アフィリエイト広告の落としどころ   [ Column002 ]

友人から「なーんだ、結局はじめたんだね。アフィリエイト」と、言われてしまった。
私はアフィリエイトに興味が無いとは一度も言っていないつもりだったのだが、どうやら誤解があるようだ。

確かに、4月27日のエントリでは、
アフィリエイトという言葉の響きに騙されないようにしたいという内容の記事を書いた。
しかしそれは、「アフィリエイトの泥臭い部分から目を背けてはならない」という、言わば教訓であり、
導入に難色を示したわけでも、広告で儲けている人を非難したわけでもない。
元々、Google AdSenseに興味があるということは公言していたしね。


どうも、私の周りには「いい人」が多すぎて困る。
いや、「いい人」がいてくれること自体は嬉しいのだが、
議論にならない議論をふっかけてくることがあるから困るのだ。
彼らは人を責め慣れていない分、議題の方向性とか物事の深奥とか、そういったものを掴む前に
「相手の意見がどう矛盾しているか」ということばかりに目を奪われてしまう。
それが反論のしようも無いくらい矛盾していれば素晴らしく有意義な指摘、ということになるのだが、
私とて何も考えずに言葉を発しているわけではない。そこまでの矛盾などそうそうあるものではない。
結局、議論はこちらが優勢のまま終わり、
「nakimiはディベートが強いね」とか
「理屈じゃnakimiに敵わないや」と、言われてしまう。
つまり、「口では敵わないけど、言い分が正しいのはこっちだぞ」と言いたいのだろう。
そこがそもそも間違っている。
相手がまず矛盾をつつこうとするから、それに対してこちらはガードを固める。
ガードを固めてしまえば、議題は「nakimiの発言について」なのだから、そりゃ私に分があるだろう。
それをいかにもディベートのテクニックで押さえつけたように言われるのは心外なことだ。
「議論で重要なのは勝ち負けなどではないのだ」と何べん言っても理解が得られないのは残念である。

「nakimiのこの意見だけど、私は別の角度からこう考えたんだ。どう思う?」
と、言ってくれれば、こっちも持論に固執せずに済むのになぁ・・・。


それはそうと、タイトルにもある「落としどころ」だが、
とりあえずはGoogle AdSenseに、このBlogに向いた広告を掲載してもらおうと思う。

中丸氏のCDや唐沢センセの本などのような個別の紹介は自分の中での線引きが難しい。
あまりに容易に手に入るものをいかにも自分の手柄のように紹介するのもどうかと思うからだ。
 (唐沢センセの本と同時に購入した宮部みゆきの「誰か」についてはは広告を打っていない。
 ハードカバーの作品が文庫化したものなので、私が紹介して手数料クレクレというのは筋違いだと思ったのだ)

とは言え、「これが私の趣味ですよ」と紹介するのには便利だし、商品の写真をいちいち用意する手間も要らない。

うーーーん・・・。である。

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2005年10月03日

武部幹事長 造反議員に活動費 郵政採決前30万円   [ Column002 ]

武部幹事長 造反議員に活動費 副幹事長2人拒む 郵政採決前30万円
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こういう話も勢いのある今なら風化してしまうのだろう。
記録、記録、、、と。

昨日の「日曜日の秘密基地」で取り上げていたサラリーマン増税にしても、人権擁護法案にしても、
「選挙に勝ったんだから何をしてもいい」という姿勢がハッキリと見える。
今だったらどんなマイナスの情報でも葬ることができるだろうからね。

言論規制に対して有効かと思われたSNSも、
avex社長から脅迫されて削除する今の流れではまだまだ力が弱い。
人権擁護法案は無視できない問題だよ。

投稿者 nakimi : 19:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月30日

<政治資金>使途不明1000万円超の議員、首相ら45人   [ Column002 ]

<政治資金>使途不明1000万円超の議員、首相ら45人
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額が額だけにたいしたニュースにもならず埋もれていくのだろう。
だからこそここに残しておくべきかもしれない。
石油商・泉井の事件もうやむやにされてしまったしね。

小泉に限った話ではないが、
一度や二度の過ちで存在を否定するのは行き過ぎという見方もあるだろう。それはわからないでもない。
だが逆に、追い風の今、こうしたニュースが流れると
「あらやだ。小泉さんは頑張ってるのに、こんな重箱の隅をつつくようなこと言わなくてもねぇ」
なんて思ってしまう人が出てくる。
それが問題なのだ。
国民が目を光らせることができないのなら、この間の選挙結果は何の意味も無い。
ただの投票マシーンが投票所に行って記入しただけってことになっちゃうからね。
こと政治問題に関しては、重箱の隅をどんどんほじくり返すべきなんだよ。

投稿者 nakimi : 13:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月28日

信号無視に見る絶対と相対   [ Column002 ]

秋葉原で信号待ちをしていて、ふと思ったことがある。

信号がまだ赤なのに歩き出すオタク君を見かけると
「うわぁ、いかにもな行動だな」と思ってしまう。そう感じる人がほとんどのはずだ。
しかし、車道の信号が赤になり、横断歩道は青になるのを待つばかり、という時には多くの人が歩き出す。
ここで馬鹿正直に、横断歩道の信号が青になるのを待っていると
やはり「うわぁ、いかにもな自分ルール」みたいな目で見られてしまうのではないだろうか。

この話は「世の中に絶対正義など無い」などと言いたくて持ち出したわけではない。
「世の中」の基準というものがいかに曖昧であるか示す指標になると思ったから挙げたのだ。
むしろ疑われるべきは「相対」の側なのだ。
「青信号で渡りましょう」というルールが社会の作ったものであるのと同様に
「馬鹿正直に青になるのを待つ奴はウザい」という空気も社会が作り出したものである。
結局のところ、社会生活をする上で必要なのは周囲に歩調を合わせるということなのだろうか?

やや釈然としないものを感じるのは事実だが、例えば・・・
 道路の反対側から信号無視して突っ込んできた人がいたとする。
 こちら側は信号待ちの人が横一列にびっしり並んでいる。
 そうした場合、「お前はルール違反者なんだから俺は通さないよ」と、まったく動かず、
 間をすり抜けようとするその人にわざと肩をぶつけたりしたとしたら、、、

・・・果たしてこれは正義だろうか?
ちょっと極端な例かもしれないが、これは社会正義を気取った自分正義でしかないわけだ。

逆に、一見自分正義のように見えたものが、実は社会正義に通ずるという場合も多く存在する。
のまネコ問題などがいい例だ。
未だに「他人のビジネスチャンスに嫉妬しているだけ」などという中傷が後を絶たないようだが
これはもはや社会問題にまで発展している。社会正義に通ずるといっても差し支えないだろう。

私が普段このBlogで述べていることも
「あなたがそう感じただけでしょう?」などと突っ込まれると弱い持論が多い。
しかしその実、掘り下げると社会正義にぶつかるような話題も少なくないのである。
残念ながらそこまで読み取ってもらえないこともあるが、それは大抵の場合が
はなっから不快感を感じていたために半ば盲目的になってしまっているのだ。
それに対して「こっちが不愉快になるような文章を書かれると、いくらご立派な問題意識があろうと受け止められないよ!」
と、感情論をぶつけてくれれば、こちらも「ああそうか。問題提起の方法を考え直そう」と、反省できるのだが、
「君の意見は絶対であり相対ではない」などと言われても納得できるはずがない。
「絶対」ってなんだ、と。「相対」ってなんだ、と。
相対を作り出すはずの世間。その世間が持つ意見というものは信号待ちの例が示すように曖昧なものなのだ。


「相対の存在が疑わしいから自分正義で行動しましょう」と言っているわけではないのでお間違えの無いよう。
問題なのは「相対」を都合よく利用しようとする人間がいることだ。

結局のところ、議論で「相対」を持ち出す場合のほとんどは
「自分の絶対」と食い違った「相手の絶対」「相対」という言葉でやり込めようとしているだけのことなんだ。
そのことに気付かせてくれたというだけでも、あのオタク君の信号無視は価値ある行動だった。
ただ、車には気をつけたほうがいいよ。
秋葉原のパソコンショップは閉まるのが早いからつい急ぎたくなる気持ちはわかるけどさ。

投稿者 nakimi : 21:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月22日

ドラえもんも民営化?   [ Column002 ]

昨夜のバツラジで
「来月からドラえもんのオープニングテーマが変わる」というニュースを伝えていた。
それを宮川賢氏は
 「今まではドラえもんも国民の財産だから大事にしようみたいな空気があったけど、
 これからはビジネス重視でどんどん新しいものを導入してガンガン儲けていこう、、、
 つまり『ドラえもんも民営化しよう』ってことね」

と、コメントしていた。
まぁ、実際はそこまでカネカネ考えていないにしろ、製作サイドからしてみれば
「声優を変えてもそれほど評判悪くなかったから、ボチボチ変えていこうや」ってことなのだろう。

思えば声優総入れ替えの時、
それを受容できないファンはカッコ悪いみたいな風潮があって、誰も声高に「替(変)えないで」と言えなかった。
これからはそのツケをどんどん払っていくことになるわけだ。切ないね。

新声優陣が助けられたのは、
「声優が替わるくらいで騒ぐのはカッコ悪い」と言い続けた人々が
第一回放送を「割と違和感無いよね」みたいな形で完全肯定してくれたこと。
・・・ま、そりゃ否定はできんわな。自分が今まで主張してきたことなのだから。
もし本当に違和感を感じられないとしたらその人の海馬は腐ってるよ。


正直今回のニュースは「たかが主題歌」程度のことだと思う。
ただ、ここからボロボロと崩れていくような気がしてならないのだ。
サザエさん化するのが好ましいと言っているわけではないが、
オールド・ファンにも納得できる形で成長していって欲しいと心から願う。

これを「子供向けアニメに何ムキなってるの?」と、
いわゆる「おっきいおともだち」感覚で批判するのは筋違いもいいところだ。
思い出の母校が取り壊されるという時に泣く人を見て
「気色いなお前。まだ小学生気分なの?」と言う馬鹿はおるまい?
我々にとってのドラえもんとは、まさにそういう存在なのだ。


ノスタルジーに浸って何が悪い。
終わることを悲しんで何が悪い。
変容に理解あることが正しいなんて誰が決めたのだ。

投稿者 nakimi : 18:00 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月20日

"ホワイトバンド"論   [ Column002 ]

ホワイトバンドというものが世間を賑わせているらしい。
数百円の白いリストバンドで、それを身につけることによって人々のボランティア精神を養うのが目的なのだそうだ。

 先に言っておくが、私はホワイトバンドを買うつもりも無ければ反対運動に参加するつもりも無い。
 ただ思ったことを述べるまでだ。

これに反発する声は当初から少なくなかったようで、
実際に寄付金として使われるのは価格の10%にも満たないことから
「ホワイトバンド詐欺」などという言葉まで生まれてしまったようだ。
また、「世界の『とてつもない貧困』」を救おうという呼びかけに対しては
まず日本の貧困をどうにかすべきだろうという反論もある。

反対派の意見は、基本的に私が普段から述べている理屈と一緒だ。
私も、今の日本は大変に厳しい状況にあり、世界に目を向ける余裕は無いと考えている。

ただし、

それは「クニ」・・・つまり国家として考えた場合、という話だ。
(「クニ」や「ムラ」については過去記事を参照のこと)
クニには、ムラやヒトを守る義務がある。
ムラ社会が消滅しかけている現在の日本では、国家が個人を支援するというのが一番重要な点なのだ。

ホワイトバンド反対派の中には、
「国内に目を向けず、聞こえのいいアフリカの貧困にばかり目を向けるのは偽善だ」
と、言う人もいる。
そして、そのことに気付かずホワイトバンドを買う人を『信者』と呼ぶこともあるようだ。
しかし反対派の彼らは気付いていないのだ。
「偽善によって救われた命もまた命である」という事実に。
 (小泉純一郎が選挙期間中に川で溺れていた子供を助けたとしたらそれは半分美談で半分偽善だろう。
 だからと言って「助からなければよかったのに」などと言う人はいないはずだ。それと同じである)

これが国家のすることであれば、日本国民をまず一番に考えて、その次に他国の貧困を考えるべきだろう。
湯水のごとくODAを使う余裕があるのなら国内に目を向けてくれというのは私も常々思っていることだ。
しかし、民間の団体にはその『順番』を守る義務が無い。理由も無い。

誰も気付かなければ死んでしまう人がいる。
それは、逆に言えば、誰かが気付いてあげれば助かる命があるということなのだ。
日本人は情報に対して贅沢になってしまい、アフリカなどの窮状を聞いても慣れっこになってしまっている。
確かに「外国の貧困?・・・でも、日本の貧困を解決するのが先だろ!」という主張は正しい
しかしホワイトバンドの活動を見た後になって理屈を構築するのは愚かだ。
もちろん、誰が何を言おうが勝手だが、
「私は世間の風潮に流されない」と言いたいがための反論材料としてはあまりにも重くはないだろうか。
過程も結果も備えた完璧なボランティア論を語っている間にも失われる命がある。
それを無視して正義を気取っても空々しいとは思わないか。


よく言われる笑い話として、
「24時間テレビなんかやるくらいだったら最初からその制作費を寄付したらいい」
というものがある。
しかし、よく考えてみるとそれはちょっとおかしい。
わかりやすくスケールダウンしてみよう。
「コンビニでパンを買うくらいならそのお金を寄付しろ」と、誰かが言ったとする。
そうすると確かに100円也が貧しい国に届く。
しかし、それではパンを食べられなかった人は飢えるし、パンを売って生活していた人は生活が困難になる。
ならば、パンを買ったそのお金が生産者に届いてから10円でも20円でも寄付すれば皆が幸せになれるのではないか。
もちろんこれは単純化した話であり、実際はそんな簡単にはいかない。
ただ、こう考えると「24時間テレビなんか無駄」という意見はどうかと思ったわけだ。
 (無駄にタレントを走らせたり、体の不自由な方に泳いでもらったりして
 「さあ感動しろ」というその押し売り気質は私も嫌いだが、
 「番組など作らずに制作費を寄付しろ」という理屈は通らないのでは、という意味ね)

これが何を示しているかと言えば
「一見、遠回りで自分勝手にも見えるボランティアでも、長い目で見ればその方が良かったということがある」
ということだ。
いくら腹が減ったからと言って、種籾や種芋を食べさせてしまってはそこでお終いだ。
経済活動を行うことそのものがまわりまわって人の役に立つということもあるわけだ。
ボランティアにおいて、100%の善意が稀であるのと同じくらい、100%の偽善も稀なのである。


話をホワイトバンドに戻すと、
 「『芸能人がつけてるから』と、ファッション感覚で着用し、ボランティア本来の意味に気付かない若者も多い。
 そしてNGO団体はそんな連中も数に数えて『同意が得られた』とする。そこが腹立たしい。
 そういう連中は仮にボランティア精神に目覚めたとしても国内には目を向けないだろう」

という意見もあるようだ。
確かにそれはまったくもってその通り。私も「数字のマジックみたいなものだな」と思った。
完全にファッション主動でなくとも、ホワイトバンドをつけただけで貢献したつもりになる人はいるだろう。
「私はホワイトバンドをつけているのだから大丈夫」というような免罪符的な役割が無いとは言えない。
ただ、これに対しても違う見方はできる。
世の中の1%の人しか身につけていなければ免罪符だが、
世の中の50%の人が身につけていれば、残りの50%に対する圧力になる。
圧力と言えば聞こえは悪いが、
「まだ慈善意識が低いままなの?」という圧力は、同時に身につけている人間自身を律することにもつながるだろう。
これをして、「ホワイトバンドなんか無駄」「偽善の象徴」などと言えるだろうか?
・・・
このような可能性を秘めている以上、
反対するのは個人の自由だが、反対運動まで行うのはちょっと問題ではないだろうか。
意気揚揚とBlogに反対の意思を示すバナーなんか貼ってる人もいるようだけど、
「私は流行に流されない」「私は物事の裏を見抜くことができる」と言いたいだけに見えて、正直カッコ悪いですよ?

投稿者 nakimi : 01:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月16日

「自民勝利」未来の有権者も=未成年の模擬投票-衆院選   [ Column002 ]

少し前のニュースになるが
「自民勝利」未来の有権者も=未成年の模擬投票-衆院選
と、いうものがあった。
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

・・・なんか馬鹿馬鹿しいと思ったのは私だけだろうか。

私は以前
「一人の若者が四人の老人を支える世の中になっていくというのに、若者に発言権は与えられない。
それでは偏った個人主義になるのも無理はない」

という話をしたが、それとこれとは別問題だ。

何歳から選挙権を与えるか、という議論は常に交わされているようだが、
少なくとも現行法では二十歳以上という決め事がある以上、
それ以下の年齢に取ったアンケートをこの時期に重視するのはナンセンスだ。
(「この時期に」ってのがポイントね)

この記事、仮に未成年者が100%民主党を支持していたらこういう扱われ方はしなかったはずだ。
自民党圧勝に乗った便乗記事という感が否めない。

繰り返しになるが、私は若者の意見をもっと重用すべきだと考えている。
そういう意味では非常に参考になる結果ではあったのだが、物事にはタイミングというものがある。
選挙ムードを引きずって
「大人は自民党を支持したけど君たちはどうするの?」と、聞くことにどんな価値があるというのだろう。

投稿者 nakimi : 23:04 | コメント (0) | トラックバック

阿部&柴咲が声優に初挑戦…20年ぶり劇場版「北斗の拳」   [ Column002 ]

阿部&柴咲が声優に初挑戦…20年ぶり劇場版「北斗の拳」
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

それほど大騒ぎするようなニュースではないのだが、
気になったのが阿部寛氏のコメント
「今までのイメージを壊さないように、またいい意味で壊すように自信をもってやりたい」
この「今までの」というのがポイントだ。
ここで「原作のイメージを壊さないように」とか語っていたら、非難があったのではないだろうか。

漫画オタクでなくとも、アニメオタクでなくとも、声優オタクでなくとも、
やはりケンシロウと言えば神谷明氏のイメージが強い。
そこにやってきた阿部氏(まさか「あべし」のひとギャグで採用されたわけじゃあるまいな)が、
「僕は原作に忠実にやるだけです」なんて発言していたら大変なことになっていたはずだ。

こういうのが大人の気配りってやつなんだろうね。
のまネコ問題ではフラッシュの作者であるわた氏が失言を元に叩かれているようだけど
阿部氏のような気配りができていればもっと同情を集められたのではないかな。

投稿者 nakimi : 14:00 | コメント (0) | トラックバック

【中国】香港ディズニー「下品な行為」にネット上で議論沸騰   [ Column002 ]

【中国】香港ディズニー「下品な行為」にネット上で議論沸騰
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

せっかくの「夢の国」にこのような問題が起きてしまったことは非常に残念だが、
中国内での議論が熱く交わされているという事実を知ってなんとも言えない気持ちにさせられた。

やはりどうしても「外国は外国だから外国」という感覚があり、
「他の国の人の考えることだから」と、思考を停止させてしまうことが少なくないのが我々日本人。
しかしどうだろう。中国の人たちは
 「金を払っているのだから何をしてもいい」
 「いや、まずは個人レベルから素養を高めていこう」

などと、自国民の行動について議論しているではないか。
我々のやっていることとまったく変わらない。
ちょっとだけ、中国の人たちが身近に感じられたね。

・・・でもまぁ、「金を払ったら唾を吐いても立ち小便してもいい」って考え方はさすがに国際社会で通用しないと思うけど。


-----追記-----
こんなこと書いた日に限ってこんなニュースが(苦笑

反日のネット攻撃呼び掛け=中国
---------------

投稿者 nakimi : 02:53 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月15日

「のまネコ」問題は眠らない・・・   [ Column002 ]

10日に紹介した「のまネコ」問題についてだが、まとめサイトによると日々進展があるようだ。

昨晩の更新では、のまネコの作者と言われている「わた」氏のコメントを紹介している。
「わた」氏のコメントを引用すると
 >7月27日時点で私の持っていた「のまネコ」の著作権は、全て有限会社ZENに譲渡されており、私は一切保有しておりません。
 >「のまネコ」の著作権使用料としての収入は現時点で一切発生しておりません。

この2点がポイントと言えそうだ。
これについてまとめサイト内の掲示板では、実に身のある議論が行われている。
知識程度がどうとかではなく、非常に建設的であることに驚かされた。
「わた」氏のコメントに対するスレッドはこちら
掲示板内の意見を参考にしてから「わた」氏のコメントを読むとまた違った感想が引き出されることだろう。
この掲示板の意見で注目すべきは

 ・日本で著作者人格権は譲渡できないのでは?
 ・元々avex社が食いついた話なのに、なぜZEN社と契約が行われたのだ?
  ZEN社はavex社のダミー会社ではないのか?
 ・「著作権使用料としての収入」はグッズ等販売後に発生するのだから、
  こんなに早い段階でお金が入ってくるはずがない。
  それをいかにも「お金はもらってません」と強調する材料にした点に不信感を感じる。
 ・そもそもあのキャラクターの著作権を7月27日まで所有していたと考えていること自体がおかしい。
  あれは著作物とは言えない。
 ・「わた」氏は音源の無断使用をチャラにしてもらう代わりにFlashを製品用に描き直した立場なので
  avexの言いなりになるだろう。あの文面もavexの弁護士が書いたものではないか。

・・・というこの5点だろうか。
さらに一番痛烈なのはこのコメント
 >「盗んだ物はタダであげちゃいましたから、私はもう泥棒じゃありません。」と言っている様にしか見えない。
・・・「盗んだ」「泥棒」とはさすがに人聞きが悪いが、まぁ、ものの例えとしては成立するだろう。


著作権・商標登録といった角度のほか、イッキ飲み防止を推奨する団体など、
様々な人が興味を持つ問題に発展してきているらしい。
引き続き注目していく価値のある話題と言えそうだ。


--------------------------------------------------
でも、、、
一日ン万HITとかする人気Blogが
日常的に(それこそフェイスマークのように)MMRやら何やらの画像を貼り付けてるの見ると、
自分を律しているのが馬鹿馬鹿しく感じてくるよね。
むしろavexを搦め手で追い詰めるより、
その辺グズグズにしてもらった方が世の中楽しくなるのでは、という気もしなくはないな・・・
ま、どちらにせよイッキ飲みはいかんよね。


-----追記-----
上記まとめサイトにて、MBS毎日放送の昼ワイドでのやりとりがアップされていた。

 >コレ(のまネコ)はちゃんとエイベックスさんが作ってるわけ
・・・いや、そもそもそこが論点なんだよ、と。ちょっと意識低すぎるでしょ、と。

関西系の「ニュースを斬るぞ」みたいな番組(たとえば辛坊治郎氏がやってるようなヤツ)って、
関西的な考え方が嫌いな私でさえ引き込まれるものがあるんだけど
中身が伴ってない場合もあるんだね。まぁ、当たり前って言えば当たり前だけど・・・

投稿者 nakimi : 06:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月10日

どうなる?人権擁護法案   [ Column002 ]

いよいよ投票日。
郵政民営化に押されてすっかり話題にならなくなってしまったが、
人権擁護法案を危険視していた人々がそれを推奨する人間を当選させたとしたら笑い話にもならない。

別に人権擁護法案に限った話ではないが、
選挙は競馬と違って何通りも投票することなどできないのだから、
自分が入れる予定の人間が今まで何をしてきたのか、しっかりと見極めるのはそんなに難しいことではない。
投票所に向かう前に、ちょいとネットで検索してみよう。

投稿者 nakimi : 22:27 | コメント (0) | トラックバック

ここまできたか「のまネコ問題」   [ Column002 ]

9月9日深夜、ついにYahoo!のトップニュースとしてのまネコ問題が扱われた。

いや、だからどうしたと言われればそれまでなのだが、
これで、問題について知る人もさらに増えることだろう。

論点は様々あるが、基本は感情論だろう。
「俺たちのキャラクターで金儲けしやがって!!」と。
それを助長(悪い意味でなく)しているのが第三のT.Kこと木村貴志氏のBlogである。
木村氏はavex側の
「パクリでは無く、”インスパイア”されたものだ」という公式見解に対し、
まず上場企業が"インスパイア"という言葉の使い方を間違えている事に驚きです。
などとし、avex側の言い分を徹底糾弾。
(ちなみにインスパイアとはある作品をリスペクトして何かが創造された時に使う言葉だそうだ)
これが読者に火をつけた。
「avexは耳馴染みのいい言葉でまたもユーザーを騙そうとしたのか!」と。


・・・まぁ、正直な話、我々に実害があるかと聞かれれば無いわけだが、
木村氏も言っておられるように、音楽著作権を守ろうと叫んでいるミュージシャンからすればたまったものではない。
「なんだ、パクリを創作とか言って売り出す会社が知的財産権とか言ってるぜ」
などと言われては商売に差し障る。
そういった意味で、木村氏が今闘っているのは決してお門違いなことではないのだ。

Blogの追記を読むと、早速avexから
「お前の参加しているアーティストのプロモーション、滅茶苦茶にしてやろうか?」
という類の圧力がかかったらしい。
我々にできることは一緒に銃を構えることではない。歯痒いがただ応援するしかないのである。
・・・
そう言えば、「寄席芸人伝」の中にこんな話があった。
 威勢のいい若手の落語家、
 金持ちの問屋に頭の上がらない芸人協会に愛想をつかして飛び出したはいいが
 揉め事を恐れてどの寄席からも門前払いを食ってしまう。
 そこで正月、寺の敷地内に即席の舞台をこしらえて興行を打ったところ
 「これを応援しなきゃ江戸っ子じゃねぇ」と、たくさんの人が詰め掛けたという

我々も、木村氏を応援しなきゃ音楽好きがすたるってものじゃないかい?


-----追記 (05/09/21)-----
9月16日、「2ちゃんねらーも、どっかの団体も、バカは休み休み言え」というBlogからTBが送られてきた。
あらゆる人に対する配慮が無い愚かな内容で、
当該記事のコメント欄には「スパム送ってくるんじゃねえ」との書き込みが溢れていた。
しばらく待てば何か変化があるかなと思って削除せず置いたのだが、まったくなんの変化も無い。
結局は書き捨てのトラックバックスパムのようなので本日付で削除することにした。
無料レンタルのブログもこうなると良し悪しだね。

投稿者 nakimi : 00:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月09日

そろそろポップジャムがはじまりますよ   [ Column002 ]

さぁて、あと30分でポップジャムがはじまりますよ。

どうも今回は、ハレンチ☆パンチとかいうグループとオレンジレンジが同日出演だったらしく、
ハレンチの方にはレンジファンからのブーイングが叩きつけられたとか。
アレンジレンジとまで呼ばれたパクリの代名詞であるオレンジレンジが
ハレンチ☆パンチにちょいとパクられたというのが原因らしい。

詳しくはアンチ オレンジレンジ様を参照のこと。

レンジファンは「パクリ、引っ込めー!!」とブーイングを送ったらしいが
皆さん、自分のやっている行動の意味、わかってますか? と。
ネット上の暴言くらいなら、
それも含めてネタでしたとか、実はレンジファンじゃないのに煽ってましたとか色々考えられるけど、
会場でマジブーイングしてるのはかなり痛い。


しかしどういうきっかけでこんなもんにそこまでのめり込めるんだろうねぇ・・・。
「そこまで」ってのは「他人を罵ってでも応援したいと思えるほど」って意味ね。
彼らは表舞台に出てきてせいぜい1、2年のグループでしょ?
そのグループを守るため、そのグループを好きだという自分を守るため、
そのために他人を罵ったり、ネットで「レンジはパクリじゃない!」と狂気の叫びを綴ったりできるものなの?
私には理解できませんわ。。。

投稿者 nakimi : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月08日

台風でナシ落下…やらせ?NHKが撮影、放送は中止   [ Column002 ]

台風でナシ落下…やらせ?NHKが撮影、放送は中止

ここのところマイナスイメージの多いNHKだけに、「やらせ」の文字に対しても敏感に反応してしまうが
記事を読むとどうも違ったようだ。

 ・元々、落果したナシを集めて山積みにしていた
 ・組合員が「山積みのままだと大量落果したように見える」と、山を崩してばらまいた
 ・NHKカメラマンはそれを撮影した

・・・という流れであれば非というほどの非は無い。

もちろん報道としてどうかという疑問はついてまわるが、
ばらまいたのが自然な状況でないのと同じように、山積みのままでも自然ではない。
組合員の奥さんが化粧をして取材に応じたらヤラセだと言うようなレベルの話だ。
この場合は事実よりも目的意識優先で仕方ないのではなかろうか。
目的意識というのは「せっかく来たんだから撮る」ということではなく、
「『強風の被害を視聴者に伝える』という目的を果たす」という意味だ。

組合員も素直に取材に応じていればよかったのにね。
人が亡くなるような大風で「果樹園のイメージが」もないもんだと思うよ。

投稿者 nakimi : 13:35 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月05日

災害から見た社会のあり方   [ Column002 ]

アメリカではハリケーンの被害が深刻なものとなり、日本にも大型の台風が接近している今だからこそ
「社会」について改めて考えてみたい。

何度か郵政民営化について述べさせていただいたが、その際、
「郵便は国家のライフラインであるという意見を支持する」ということをお話ししたと思う。
これを今回の災害に当てはめて考えていきたい。

ハリケーンが猛威を振るってから一週間。アメリカではブッシュ政権への不満が頻発しているという。
しかし考えてみれば、誰にもどうしようもない天災の責任を取れというのは無茶な話ではないか。
被災者はヒステリーを起こして権力者を罵倒しているだけなのだろうか。
言うまでもないことだが、それは違う。
税金がどうのと理屈をこねる前に、国家は国民の生活を保護する義務があるのだ。
「自分でなんとかしろよ」と言った瞬間、国家は国家としての権威を全て喪失する。
ブッシュは持てる力の全てを注ぎ込んで国民を救う義務がある。
「国民も大事だが戦争も大事」なんて言っているバカ殿のままでは国が滅ぶ。

日本の郵政民営化についてもこれに通ずるものがある。
「ヤマトがあるだろ」「佐川もあるだろ」というのは、一歩間違えれば
「連絡したきゃ自力で運べよ」という理屈になりかねない。
もちろんそんな極端なことにはならないだろうが、国が国民の生活維持を計るのは当然のことなのだ。
増して、外国企業の問題がある。
簡保と郵貯の民営化に関してはメリットが大きいが、郵便だけは何らかの形で国が関わっていかなければダメだ。

このように、今回の大災害は「クニ社会と自由」ということについて考えさせられるきっかけとなったわけだが、
これは「女性の社会進出」について語った内容にも関係している。
一人一人がクニを支え、クニは一人一人を守らねばならない。
片手落ちの自由などまやかしなのだ。
自由を求めて自立しようとする女性を責めるつもりは無いが、
ウーマンリブ、ウィメンズリブが日本崩壊の第一歩であったことは覆しようのない事実なのだ。
「アメリカは進んでる。日本は遅れてる」
なんて惑わされて・・・いや、国家として遅れていたのは事実かもしれないが、
社会に進出したいのであれば、それがどんなにのろい歩みであっても、国と二人三脚で進めなければならない。
それなのに、少しでも早く好き勝手したくて飛び出して、それで「国の保障が足りない」と騒いで、
挙句の果てには少子化や無責任な家庭を作り出した。救いようが無いのである。

「包丁の無い家庭のどこが悪いの?」

いいわけねぇだろ

投稿者 nakimi : 19:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月26日

ネイサンズのバイト問題について   [ Column002 ]

「オタ」「きもい」──スタッフのブログ発言、企業を巻き込む騒動に

コミックマーケットに出店したホットドック販売店の売り子が
自身のBlogで「オタ」「きもい」などと発言したことが問題となっている。

どういう方向に転じるかなと思って見ていたが、企業側が謝罪してからも祭りは続いているようで・・・。
何がそこまでさせたのか、ということに関してはもなQらいと様でも考察されているようだが、
問題はもっと単純なところにあると思う。

「あー、あの売り子、笑顔で接客してるけど腹の中ではキモいと思ってるんだろうな」というのは
みうらじゅん氏と伊集院光氏言うところの「DTによる被害妄想」に近い。
しかし今回の場合、被害妄想にトリップする間もなく、ハッキリ「きもい」と書かれてしまった。
言ってみれば、ミッ〇ーマウスの中の人がパレードの最中に顔を出してタバコ吸っちゃったようなもの。
救いようが無いのである。
これに対して「オタども、鏡を見ろ」なんて発言するのはナンセンスだ。
そんなことは百も承知で夢見ていたのにその夢が砕かれてしまったのだから。

「たかがバイトの、しかも個人的なBlogに書かれた事で企業が謝罪するなんて馬鹿げている」
というのは、まったくもって仰る通りだ。しかし、よく考えてもらいたい。
ここで「いいじゃん。本当にキモいんだから」とか
「あれは厳密には勤務時間外だからいいんだ」などと開き直ってしまったら
彼らはもう二度と夢を見ることができなくなってしまうのである。
それじゃあ心情的にもあんまりだし、経済効果を考えてもある程度夢見がちな人がいてくれないと困る。
その点に対するフォローの意味でも、今回の謝罪は実のある謝罪だったと思う。
もちろん、これ以上何かを要求してきたら突っぱねてもいいと思うけどね。

投稿者 nakimi : 17:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月25日

埼京線で姥捨てについて考える   [ Column002 ]

先日、埼京線に乗っていたら、コブシ二つくらいの隙間に尻をねじこんでくるオバさんを見かけた。
体をひねりながらスペースを確保しようとフーフー言っていたかと思うと
おもむろに立ち上がって2つ3つ向こうの人に向かい「狭いのでもっと詰めてもらえません?!」とキレていた。

・・・まぁ、そこまでは許そう。
できるだけ多くの人が座れるように、というマナーを守ることは決して間違いではないのだから。
しかしそのオバさん、近くを暴れまわる子供はガン無視。
満員電車の足元を匍匐前進でくぐり抜けていくような、今時珍しい馬鹿ガキ共に注意もしない。
おまけに隣の人が降りると途端に自分のスペースを確保して後から座る人を入れようともしない。

結局、このオバさんは、「自分が座りたいから尻をねじこんで、自分が狭いから文句を言った」だけなんだ。
いやもちろん、オバさんが「社会正義」というようなことを口走ったわけでもないし、
最初から自分のためだけに行動していたのだろうけど、
どうも最近は「若者が常識を失っている」という空気があって、
年配者の行動には見えざる正義が隠されているのではと皆が思い込んでしまう。
この空気は変えていかねばなるまい。

この場合、どう注意すればいいのかね?
尻をねじこんでいる段階で「無理ですよ」と声をかけるのも不人情のようにとられかねないし
「詰めてもらえません?!」と言った瞬間に「お前がムリヤリ入り込んだんだろ」と言い返すのも微妙だ。
なぜならこの段階では、単に利己的なのか社会正義に基づいた行動なのか判断がつかないからだ。
やはりここは、隣の人が降りて自分のスペースを拡張しようとしているところに
踏み潰さんが勢いで腰を降ろすくらいしかできないのかもしれない。
・・・とは言えそこでオバさんが「痛い」とでも叫ぼうものならそっちに同情が集まるんだろうな。

高齢化社会を武器にしているカッコ悪い大人って多すぎる気がする。
以前も書いたように、老害は身近なところにこそ存在している。
民主主義社会で高年齢化がはじまっているということがどういうことなのか、
我々二十代の「若手」はもっとよく考えねばならない。
そして、最悪の場合は「姥捨て」という選択肢もあるということから目を背けてはならない。
もちろん本当に姥捨てをするのではなく、発言力のバランスを取るなどするという意味だ。
若者一人で老人四人を支えた上に発言権は老人にあるのでは、
とてもじゃないが社会のために生きようなんていう気にはなれないだろう。
ただ、単純に若者の発言権を4倍にしてしまうと、
社会貢献も何もしないで好きなように生きている者までが力を持つことになってしまう。
何か貢献度を示すいい基準はないものだろうか・・・。

今回の記事は、8月8日のエントリと並べて読んでもらえると、より問題がハッキリ見えてくると思う。
若者が社会のために生きようとするには何が必要なのか。結論を出すのは早いほどいい。

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2005年08月18日

高い匿名性、ネットカフェに犯罪死角…自殺サイト殺人   [ Column002 ]

高い匿名性、ネットカフェに犯罪死角…自殺サイト殺人
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

自殺サイトで人をおびき出して殺害した事件のせいでピックアップされてしまったのがインターネットカフェ。
確かに匿名性は高いし、いくつかの問題を抱えているのは事実だが、
「前上容疑者は周到にも履歴を消してから立ち去っていたそうです」
という報道の仕方には疑問が残った。

本来なら、公共のパソコンを使って履歴を残したまま席を立つなんてとんでもないことだろう?
最近はどの店でもほとんどのパソコンがインターネットの履歴を1日以上保存しないように設定しているし、
ユーザー権限を広げて手動での削除を可能にしている。
個人情報保護の意識が強まっているのだ。
しかし、もちろん時代に逆行する店舗もある。
たとえば仙台駅前にあった(今もあるのかな?)日立ヒットプラザのパソコンを有料で利用したときには
フォームをクリアできず、電話番号などの個人情報が残ってしまった。こういったことでは困るのだ。

ネットカフェの完全会員制が犯罪抑制に有効であるという意見には一理あるが、
それが推進されたからと言って個人情報が守られるという保証はどこにもない。
日立ヒットプラザのように意識の低いところは低いままで、
さらに言えば登録した会員情報が流出する心配までしなければならない。
これでは会員制に賛成する意味が無い。

まぁ、店舗側の抜け道として考えられるのは、
「パソコンを利用しない客には会員証の提示を求めない」とか
「個人情報を登録しても会員証には番号をふらず、個人を特定できないようにする」とか、そんなところか。
それでも客離れは免れないだろうね。

とは言え、会員証を提示すると料金が半額になるというのであれば喜んで利用するだろう。
そういったサービスを日本複合カフェ協会が支援するというのであれば立派な提案だが、
現段階では、ケチがつく前に通達を出して、
問題が起こったら「従わなかった店舗のことは知りません」と、逃げる準備をしているようにしか映らない。
利用者も店舗も社会全体も全てが納得できるようなアイディアがあれば良いのだが。
(個人的には「会員証には番号をふらない」というのがいち押し。
直接逮捕にはつながらないかもしれないが、抑止力になるし個人情報も保護できる。
あとは「容疑者候補リスト」を持ち帰った警察の良識に委ねられるというわけだが・・・)

投稿者 nakimi : 09:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月15日

8月14日のサンデー・ジャポンを見て   [ Column002 ]

サンデー・ジャポンの飯島愛は見ていてイライラするね。

荒井議員がインターネットという言葉を使った瞬間、不満そうに何度も「インターネットって何よ」みたいにつぶやき繰り返す。
「難しい言葉を聞きたいのに、私でも知ってる単語が出てきたからご不満」ではあるものの、
突っ込める単語がそれしかないのでそれを繰り返すだけという非常に見苦しいものになってしまっていた。
また、「郵政が民営化したらどうなってしまうのか」のまとめフリップに対して
「いや、それは今でもやってることじゃん。私はどういうメリットがあるのか聞きたいの」と馬鹿発言。
聞く気が無いなら最初から質問するなよ。

自民党内で対抗馬を出すことはどうなのかという議題では
小林議員の「郵政に賛成票を投じたい人の選択肢を設けるためには対抗馬もやむなし」
という意見に対して荒井議員が
「じゃあこれからは党内で意見が割れるたびに解散して一区につき二名の候補者を立てるのか」
という反論がなされた。総合的な判断はともかく、至極もっともな切り返しだ。
しかしそこに飯島愛は「そういうことじゃないでしょう」ととりあえず反論してみるだけ。
「こいつの言ってることはなんか極論っぽいから反論の先陣を切ればあとは周りがフォローしてくれる」
とでも考えたのだろうがあえなく轟沈。無様ったらなかったね。
「それは民間でもできることじゃん」を伝家の宝刀のように思っている節が見受けられるが、
人々の生活を国が保証するからこそ国家なのだ。
それに、公社化した段階で既に競争原理ははたらいている。


彼女は真面目な討論に一番必要無いタイプ。
「私はバカだけどバカじゃない」という矛盾したパブリックイメージを纏おうとするばかりに人の話を黙って聞くことができない。
賢いフリをする馬鹿も手に負えないけど、
「馬鹿は馬鹿なりに鋭い質問するでしょ?」と言いたげな馬鹿はもっと手に負えないよ。

昔、伊集院の番組で、プロデューサー宅に遊びに行った感想の一つとしてこんなことを話していた。
「兄貴が九九を暗唱すると誉められるもんだから、
弟はそれを真似して数字をとにかく羅列して叫ぶんだよ。うるさくてしょうがなかったね」

あの番組内での飯島愛はまさにその弟だね。
知ってる単語に食らいついてそれを繰り返すばかりで、なんの存在価値も無い。
賛成派が話している最中はつまらなそうに斜めをぼんやり見つめて、
反対派がドラスティックに発言すると首をぶんぶん振る。これじゃ視聴者に悪影響が出るよ。


民意って、そういうものじゃないでしょう。
「政治の世界はウミだらけで、それを外に出そうとするのを邪魔するのは悪者。癒着議員」
みたいなレッテルでしかものを見ず、民営化反対派の意見は聞こうともしない。
それで世の中が良くなるはずが無い。

・・・あとね、政治の膿が政治の膿がって言うけど、膿は出し方によっては醜い痕が残りますよ?
ニキビを爪で潰したばっかりに泣く泣く皮膚科に通うハメに、なんて人は珍しくもない。
膿はただ出せばいいってもんじゃないんだよ。

投稿者 nakimi : 14:36 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月12日

郵政解散?   [ Column002 ]

こんな記事が出たおかげで郵政民営化について書くことがはばかられたが、
リクエストもあったことだし、そろそろ書くべきことを書いておかなければ。

まず、「郵政解散」という言葉についてだが、やはり違和感を感じる。
解散して国民に信を問うことが悪いと言っているのではない。選挙の焦点が郵政であることがおかしいのだ。
そもそも、自民党内の反対派にせよ、民主党にせよ、郵政民営化を全否定しているわけではない。
法案の内容に納得できないから反対しているのだ。
このことを解散前に意識していた国民がどれだけいるだろうか。
私も友人と何度か議論したが、民営化賛成を唱える人はほぼ全員がこれを知らなかった。
そして解散後、「あの議員、選挙になったら慌てて『私は反対じゃないんだ』と言い出したね(嘲)」なんて言い出す始末。
本当にやってくれるかどうかはともかく、民主党の方がよっぽど現実的な改革案を述べているのに、
それでも「小泉さんは改革断行してくれる」と支持するのはこういう人たちなのだろう。
もちろん、それが「民意」だとするならば選挙も小泉の思うままにいくのだろうが・・・
衆院選に向けた自民党のキャッチフレーズが「改革を止めるな。」というのもそのあたりを狙ってのことだろう。
・・・ま、とは言え、我々は国政のシロウトだ。
「言ってることは難しくてよくわからないけど信用できそうだから投票するわ」という行為まで非難するつもりはない。
ただ、ほとんどの議員が改革には反対していないということは知っておかねばならないということだ。
また、あまり触れられる機会はないが、
参議院の結果に対して衆議院の議員にペナルティを課すというのはフェアな政治活動と呼べるのだろうか?

次に、局員の既得権益が選挙に影響を与えるのは見苦しい、という意見について。
この意見、要は「公務員の肩書きにしがみつく郵便局員なんてバンバンリストラしちまえ」ということだ。
そういうことを言う人たちは「郵政公社」の設立を記憶から消去してしまっているのだろうか???
ほんの2年前のことだ。郵政は公社化し、国の税金を使わないシステムに進化した。サービス内容もグンと進歩した。
もちろん私が昨年末に指摘したような意識の低い局員がいることも事実だ。いくら公社化しても人の中身までは変えられない。
しかしそれは民営化しても同じことだろう。
とりあえず彼らの肩書きは「みなし公務員」であり、「公務員」ではなくなっている。
また、これは少々浪花節的になってしまうのだが、
特定郵便局というものは、明治に郵便局ができた当初、当時の名士たちが
「日本が良くなるためなら」と無償で建物や蔵を貸してくれた名残なのだという。
世襲だなんだと聞くと我々一般人は過敏に反応してしまうが、
背景を知ってさえいれば、ある程度目をつぶってやることもできたのではないか。
もちろん寛容であることが良い結果を導き出すとは思っていないが、
民営化議論の槍玉にあげられるのはちょっと可哀想な気がしたので取り上げてみた。


自民党と民主党の政権争いなのか
郵政民営化の是非を問うものなのか
論点も争点も見えてこないまま、「国民の皆様に決めていただきます」と言われても、正直、困ってしまう。
小泉の言うように
「私とその仲間は改革をしようとしたが抵抗勢力に阻まれた。何度でも立ち上がるぞ」というのが事実ならそれでもいい。
しかしそれは国民向けの”ポーズ”であって事実とはかけ離れている。
じゃあ嘘つき小泉を追い落とせば日本が良くなるのかと聞かれるとこれまた答えに窮する。

・・・ハッキリ言って、「改革」を叫びはじめてから日本は迷走しているのではないだろうか。
現実問題として対処しなければならないことをさて置いて、与党も野党も理想論ばかり語るようになってしまった。
マニフェストなんて言葉が大きく取り上げられたのもこれを象徴している。
理想論はもちろん大事なものだ。しかし、政治家はリアリストでなければならない。
  私の知人が首相官邸と細いパイプを持っており、国民の声を秘書官に伝えているらしいのだが、
  ハンセン病患者が国に賠償を求めた裁判で国側が控訴した際、
  「米国債や中国に渡す金があるならなぜあの方達を救おうとしないのだ」と声を荒げたら、その秘書官が
  「そんなこと言ったら何十年も遡って全ての人を補償しなければならなくなる。そんなことはできない」と言ったという。
もちろん信じられない意見だし、最終的に控訴は取り下げられたわけだが、
つまりはこの秘書官の現実主義っぷりが政治家の気質ということ。
そこに国民が理想論をぶつけて政道を正すというのがこれまでの日本だったのだが、
今は政治家が率先して理想論を語りだしている。
これが良い方に転がってくれればいいのだが・・・

投稿者 nakimi : 07:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月11日

デジャ・ヴュではない   [ Column002 ]

ジャメ・ヴュである。
検索しても本来の意味は簡単に出てこない。
既視観に対する未視感という表現だとどうしても説明が足りなくなる。
(そもそも「既視観」の解釈が正しく行われているという保証はどこにもないのだが)
「見たことがないような気がする」だけでは健忘症だ。

なぜ突然こんなことを言い出したか。
それはつまり、私を取り巻く価値観が突然に変化したからだ。
私のことを認めてくれていたはずの人間が実は腹の底では小意地の悪い自分勝手なことを考えていたり、
お互いうまが合わないと思っていたはずの知人と突然約束を取り付けることになったり、
何かこう・・・反転とまではいかないが、私が信じていた世界観が揺らぎつつあるのだ。

こういった場合、最も簡単な答えは「私という人間が変化した」というものだ。
右を向けば左に背を向けることになる。単純な話だ。
しかしそれはあり得ない。私を知る人間なら皆そう思うことだろう。
私は天秤のごとく公平な人間ではないが、コロコロ価値観を変えたりはしないのだ。
それだけに、この環境の変化は不思議である。
「一人失っても一人得たならいい」という見方もあるだろうが、
こういうものは近頃人気の錬金術みたいに等価交換というわけにはいかない。
私は失うことが・・・変化することが大嫌いなのだ。


「公平な人間」で思い出したが、「あなたの考え方は公平ではない」という意見。今さらながらに滑稽である。
世の中に「公平な意見」ほど不確実で不安定で信用のならないものはないからだ。
上で例に挙げた天秤を見てみたまえ。ちょっと重りを乗せただけでそちらに傾くではないか。

もちろん概念としての公平は理想だし、否定するものではない。
しかし、「あの考えは公平」と評価すること自体が相対評価であり、価値基準が曖昧だ。
それでも「公平ではない」と言いたがる人は、単に切り札として使っているのだろう。
評価基準がないから、「あなたの考え方は公平ではない。あなた自身は気付いていないだろうけど私にはわかる」
と、してしまえば相手は言葉が続かなくなる。要はディベートのテクニックということだ。

私が「自称いい人」を非難する理由もそれに近い。
生涯を通じて公平な人間などいやしないのに、
「私は公平な人間なので感情論で言うわけではないが、君の意見には義憤を感じたので訂正か釈明を求めたい」
と、乗り込んでくるのが「自称いい人」のやり口だ。
自分の理性と正義に自信を持っている分、相手の人格を攻撃したりするからタチが悪い。
・・・とは言え、いくらタチが悪かろうと所詮はツギハギだらけの意見。
元々が感情論なのに、ムリヤリ正しい意見ってことにしようとするから論理は穴だらけだ。
そんな理屈を振り回してきたところで、議論になってしまえば看破するのはたやすいが、
こっちにしてみれば何も得るものがない議論ほどむなしいものはない。
「議論とはより良い結論を導き出すためのものである」というのが私の持論なのだから。

そんなことになるくらいなら最初から感情論をぶつけてくれた方がいい。
私だってロボットじゃない。「理屈じゃないけどイヤなんだ」と言われれば心揺らぐこともあるだろう。
私は「勝つための議論」同様に「譲歩させるための議論」というものも嫌いだが、
相手の心情に配慮して譲歩することはあるのだ。
しかし、妙にプライドを気にして論破しようとしてくるから、こちらも刀を抜かざるを得なくなる。双方にとっての不幸だ。


ジャメ・ヴュか・・・こんなことを考えたのは久しぶりだ。
なんか、かってに改蔵の最終回みたいだな。

投稿者 nakimi : 10:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月08日

最重要課題は少子化対策   [ Column002 ]

郵政民営化関連法案が否決された影響か、50人以上の方が「罷免とは?」で検索して来られたようだが
今日はろくにニュースも見ていないので民営化の是非や解散については後日語ることにしよう。

今回述べたいのはもっと根源的な問題について。

現代の日本が抱える問題の多くは、少子化に端を発するというのが私の持論だ。
先日、そのことについて議論になった時、相手側からこんな意見が出てきた。
 「動物的に生きるのであれば、女が子を育て、男が働くというのが理想だったが、人間はもはや動物ではない。
 昔の日本女性は生きるために結婚していたが、現代の女性は一人で生きる術を持っている。
 総じて考えると、今は子を産み育てることにメリットが無い」

・・・つまり、人間は本能で生きる動物ではないのだから、
女性が生きたいように生きるのが当然だ、という意味なのだろう。
これらの意見は一見理屈が通っているように聞こえるが、残念ながら「社会」という概念が欠落している。

一時期「女性の社会進出」という言葉がもてはやされたが、進出したその社会とは何なのか。
まさか、会社が集まってできたのが社会だと思っている人は居るまい。
社会とは、人と人がお互いに接し合い関係し合って生きていく集まりのことだ。
そこからすると、
「現代女性は社会進出が進んだおかげで、一人で生きることができるようになった」
というのは矛盾だらけの理屈なのだ。
もし本当に一人ならそれは社会進出などしていないことになり、
また逆に、本当に社会進出しているのであれば、一人で生きているなどというのは勘違いということになる。
さらに言えば、いわゆる「女性の社会進出」とは、女性の社会的価値が上がったわけではない。
男性の社会的価値が下がったというだけのことだ。
生物学を持ち出すまでもなく、筋力的に男性が優位であることまで否定するフェミニストはいない。
肉体的な優位を活かした仕事が減り、頭脳労働が増えた。その結果、男性の社会的な価値が下がったのである。
会社で仕事をし、それが重なって地位を得たからと言ってそれが社会進出だというのは考え違いも甚だしいということだ。
・・・ここからは書きながら思いついたことなので、論として少々乱暴な物言いになるが・・・
狩猟や肉体労働が減ることで男性の社会的価値が下がったことを考えれば
出産や育児の機会を失うことで女性の社会的価値が下がるという見方はできないだろうか。
これは女性蔑視でもなんでもない。ぜひ多くの人に考えてもらいたい問題だ。

一番小さな社会は「イエ」つまり家族ということになるわけだが、
もう少し範囲を広げると「ムラ」という集団社会が見えてくる。村八分の「ムラ」である。
しかし、残念なことに現代の日本はこの「ムラ」社会を失ってしまった。
それは明治維新であったりルーズベルトの政策であったり様々な原因が考えられるわけだが
とにかく「ムラ」が消失してしまったことだけは確かだ。
この「ムラ」というものが、人が生きていく上でどのように関わってきたかは、
社会学辞典を紐解くまでもなく、上にも挙げた「村八分」という言葉から推察することができる。
「村八分」とは、「火事と葬式以外はお前と関わらないよ」という拒絶の意思を示した言葉である。
残りの部分にはそれこそ「出産」「育児」「教育」など、様々なものがあったに違いない。
それこそが「ムラ」の役割だったのだ。
本来は「ムラ」が子育ての何割かを負担してくれていたのにそれを失ってしまったから、
「子育てをしながら働くことができないので出産を諦める」などという悲しい現実が襲ってくるわけだ。
とは言うものの、今さら「ムラ社会」を取り戻そうとしてもそれは難しい。ではどうするべきか。
出産や育児を「ムラ」に代わってサポートすることこそが「クニ」の役目なのではないか。
国家がまず今すべきことは、郵政民営化などではなく、少子化対策なのだ。

「人間は動物ではないから少子化もやむなし」論を述べてくれた人は
「世界はむしろ人口飽和なのだから、少子化傾向にある日本を立て直すのはナンセンス」という見解も示していた。
右ウイングの人に聞かれたら日本刀で斬られそうな発言だが、
それでも「日本はムラ社会を失った上に国家も機能していない。こんな国は滅びるべき」と言うならまだわかる。
しかし現実の少子化問題は、「自由と責任」という言葉に踊らされて
「私は自立しているから好きに生きていいのだ」という無意識的な反社会思想が蔓延した副産物でしかない。
 ・「ムラ」を立て直す
 ・「クニ」が支援する
 ・滅びの道を行く
ちょっと考えただけで三つの選択肢が挙げられるのに、
「世界は人口飽和なのだから日本は滅びてもいい」などというのは思考停止に他ならない。
我々二十代の人間が逆ピラミッドを背負うというのはもう決定してしまったことだ。姥捨てでもしない限りは覆らない。
だからといって思考停止するにはまだ早い。我々は日本をさらに次の世代へとバトンタッチする義務があるのだから。


いきつけのBARのマスターがこうこぼしていた
 「最近はね、商店街を歩いていても子供の声がしないんですよ。
 子供がたくさんいる社会だと、大人は子供たちのために何をしてやれるか考えようとするんです。
 でも、今は子供の声が聞こえないから、私自身、未来の日本について考えるのをやめてしまう時があるんですよ」

三人のお子さんを立派に育て上げたマスターでさえ、ふと気が緩むと諦めの気持ちが襲ってくるのだという。
なんとかしなければ日本に未来はない。

投稿者 nakimi : 23:41 | コメント (1) | トラックバック

終戦60年記念番組を聞き逃す   [ Column002 ]

昨夜、久々にランニングをしてゼーハー言ってゴロゴロしているうちに
TBSラジオの『終戦60年記念特別ラジオドラマ 飛行機雲2005~DJから特攻隊へ愛を込めて~』を聞きそびれた。
非常に残念だ。

CMを聞く限りではとても面白そうに感じた。
ラジオの可能性などというと陳腐に聞こえがちだが、
「特攻隊になぜか届いてしまった2005年の電波が彼らに敗戦を知らせる。それを知った彼らはどう生きるのか」
というストーリーはテレビに置き換えることができない。
ラジオドラマのテーマとしては最高のものだと思っていた。それだけに聞き逃したことが悔やまれる。
終戦記念日まであと7日。もう一度放送してはもらえないものだろうか。

・・・それにしても、戦後60年か・・・。
戦前へのカウントダウンにならないことを祈るのは当然だが、戦争にすらならず滅ぼされるのはもっとイヤだ。
渋谷の若者を見て「日本はどうなるのだろう」と憂う老人ではないが、やはりある程度の愛国心というものは必要だ。
全員が自分のことばかり考えていれば滅びの道を行くばかりなのだから。

投稿者 nakimi : 10:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月07日

心の病み方について   [ Column002 ]

ここ数年で周りに鬱病を患う友人知人が増えた。
中には5つ6つ年下の子までいて、たいへん不憫に思う。
やはり現代特有のストレス環境が人の心を蝕むのだろう。
・・・もちろん、私も現代病を抱えていないわけではないし、
人一倍ストレスを溜め込むタチなので同情している場合ではないのだが・・・。

彼ら彼女らを見てつくづく感じるのは、
「自分を不幸にする鬱」「周りを不幸にする鬱」がハッキリ別れている、ということだ。
前者には心の中でエールを送るしかできない(「頑張って」と言ってはいけないらしい)のだが、後者は厄介だ・・・

なぜ「いい人」は心を病むのか(町沢静夫 著)なんて本もあるが、
心を病んだからその人が「いい人」かといえば必ずしもそうではない。
私が以前ここで指摘したように、
自分で自分のことを「いい人」だと自覚している人間は独善的になりやすい。
「自分は正しい、イコール周囲の人間が悪い」という結論になりがちである。
そうした人が精神的な難題を抱え込んでしまった場合、
「私は正しくて『いい人』だから周囲の無神経な連中に傷つけられた」と思い込む。
その結果、ストレスを回りの人間にぶつけるようになってしまう。
これが「周りを不幸にする鬱」の代表例である。

診断書をもらっていない人間だからといって、何を言われてもこたえないわけではない。
骨折した腕で殴られても痛いのと同じで、鬱病の人になじられればこちらも傷つくのだ。
その点に思い及ばない時点で「いい人だから心を病んだ」という説は該当しなくなる。
もちろん彼ら彼女らの闘病には協力を惜しまないつもりだが、
自称「いい人」から悪役扱いされる側の気持ちもわかってもらいたいのだ。

しかしまぁありがたいもので、こうした病気に苦しむ方の中にも他人の痛みがわかる人がたくさんいる。
7月23日の地震があった直後、東京に住む私を気遣い、わざわざ仕事場から電話をくださった方もいた。
心の病だからといって、その治療期間に人間として成長できないということはない。
治療と平行して自分を高めることのできる人は尊敬に値する。
もちろん誰にでもできることではないと思うが、
せめて「周りを不幸にする鬱」にならないよう気をつけていただきたいと心から願う。

投稿者 nakimi : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月02日

永岡議員の自殺と郵政民営化について   [ Column002 ]

自民党の永岡洋治衆院議員が自殺した件について郵政民営化問題の影響があったことは間違いない。
民営化推進派の言う「反対から賛成に寝返ったことで批判を受け心を痛めたのではないか」
という意見は、イコール「反対派がプレッシャーを与えた」という意味だ。
逆に反対派は「なんとしてでも民営化したいという多数派工作の犠牲になった」と主張している。
一人の命を踏み台にしてまで己を有利にしようとしているその醜さはどちらも同じだが、
そもそも郵政民営化がそこまでして貫かねばならないような「国家百年の計」だとは思えない。
もちろん世の中には様々な意見があるもので、このBlogにも
「自民党は公約として民営化を掲げたのだから反対するのはおかしい」というコメントをいただいているが、
それはあまりに片手落ちな正義感ではないだろうか。
党の政権公約にしがみついて物事を見ないということは
「かねてから計画があるのだから、貯水量が足りていようが自然破壊になろうがとにかくダムを作る」
というのと同じくらい愚かなことだ。
議員一人一人が意見を持って議論することは決して間違いではない。


正確なところはわからないが、この永岡議員は二度の落選を経て自民党の公認をもらい当選。
小泉が「反対者には公認を出さない」と公言したこともあり、苦渋の選択で賛成に鞍替えしたのだそうだ。
この点をピックアップすればは「小泉に殺された」と言っても過言ではないだろう。
派閥の会長が「公認取り消しに脅えるな」と叫んだシーンも繰り返し報道されているが、
そもそも「反対者に公認を出さないぞ」などという脅しが無ければ板挟みになりようもなかったのだから。

様々な理由から公認をもらえない議員はいるが、
一度受けた公認を剥奪されるということは、「たとえ当選してもお前は仲間じゃない」と言われるようなもの。
これに苦しまない議員はいないだろう。

テレビのコメンテーターが「遺書が見つかるまでは」と、慎重になるのは当然だが、
ハッキリ言って誰が書いた遺書が出てくるかわかったものではない。政治とはそういう世界だ。
死人に口なし。結局誰かに都合のいい情報しか出回らないのだから、
それならストレートに「小泉に殺された」と考える方がなんぼか健全である。


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(追記:13時00分)
livedoorのトピックスページにこの記事が掲載されたことで、現在異常なアクセス数になっている。
それだけ関心の高いニュースだということだろう。

ところで、友人のkasahara氏は「クロネコや佐川にも十分な実績がある」という理由で民営化に賛成しているようだが、
ドイツのある会社が参入に意欲的であることはご存知なのだろうか?
浅井慎平氏言われるところの「ライフライン」である郵便事業を外国の企業に握られてしまう可能性があるのは問題だ。
たとえ善意で参入した会社があったとしても、業績不振で撤退されたらその地域は完全に「陸の孤島」になってしまう。
そのあたりについて十分な協議が必要である。

ちなみに私は昔から小泉が嫌いだから反対派に見られることが多いが、基本的にはどっちでもいいと思っている。
ただ、「一長一短の政策を通すくらいなら現状維持でいいのに」という気持ちがあるのは確かだ。
もちろん郵政が大きな赤字を抱えているのは事実だが、それなら是正で済む話ではないのか。
・・・この話、どうも青島元都知事の「世界都市博覧会中止」とダブるんだよね。

「なんとなく不安だから反対」というのはいかにも非論理的で、
賛成派ならぬ「反対の反対」派にとっては恰好の的となっている。
しかし実際のところはどうだろう。理詰め論詰めで行動に移したから100%成功するなんてことはない。
それならば、「なんとなく不安」も正当な意見の一つに数えるべきではないか。
iPod課金問題の時も触れたが、民が「賢いフリ」をした時ほど政治家にとってやりやすいタイミングはないのだ。
民の声はアバウトだからこそ民の声だとも言えるのである。
それを自ら否定して「賢いフリ」をすることには何のメリットもない。

投稿者 nakimi : 09:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月31日

どらっぐぱぱす、ポイント搾取?   [ Column002 ]

どらっぐぱぱすで買い物をしたら、「29、30、31日はポイント5倍!」との張り紙が店内にベタベタ貼ってあった。
それならと思い、普段はあまり買わないようなものまで買ったのだが、カードの記録情報を見てびっくり。
ポイントは5倍になどなっていなかったのだ。
ポイント倍増の条件(一定の購入金額)は十分に満たしている。

店員のミスとは考えづらい。
カードを特別な機械に挿入してジーコジーコやるとポイントが記録される仕組みになっている。
恐らくはその機械の設定ミスだろう。

さて問題はこれを報告するか否かだ。
「たかがポイントで怒鳴り込んでくる客」などと、店員に思われるのもシャクだが、
こっちは5倍だと思うからまとめ買いしたのだ。でなければ他店でもっと安く買うこともできた商品もある。
これをこのままにして泣き寝入りするのは悔しい。

しかし、この「どらっぐぱぱす」の場合、
ポイントカードは全店巨共通なのに、2倍とか5倍とかのサービスは店舗ごとに任されているので、
問題があったとしてもこの一店舗だけのことだろう。全店でミスがあれば修正騒ぎになるのだろうが・・・。
地元のじじばばが何事も無かったかのようにスルーしたことを私一人が掘り返せばクレーマー扱いは免れない。
むしろ「こんな店、もう来ねえよ!」と、後ろ足で砂をかけてやったほうがいいのかもしれないな。

クレーマー扱いされるにしろ「トラブルのある店には行かない」と律するにせよ、
どちらにせよその店に行きづらくなることに違いは無い。
だったら、ヘタにクレームをつけて店員にマークされるよりも
ここは押し黙って、出物があった時だけ知らん顔してこの店を利用してやるのが得策なのかもしれない・・・。
・・・イヤなシステムだね、どうも。。。
正義が貫けないことほどイライラすることはないよ。

投稿者 nakimi : 00:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月25日

楽天、強気の采配が裏目に   [ Column002 ]

ちょっと調子に乗りすぎちゃったんだね・・・。

ライブドア系宿泊サイトの加盟急増 楽天の値上げ追い風
(記事全文はリンク先のほか追記にも保存)

この背景にはこのようなニュースが。
楽天トラベル 強気の手数料値上げ

ネットビジネスなんて数をこなしてナンボだろうに・・・
「払う気のない奴は出て行け」とするメリットは何一つない。
てことは「それでもウチに頼らざるを得ないだろ?」という内心の表れだったわけで・・・
これには好感を持つことができないね。

別に宿泊業界とは関係ないけど、元々楽天は好かんのですよ。anetの一件もあるしね。

投稿者 nakimi : 22:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月20日

「君は悪くない」   [ Column002 ]

「君は悪くないよ」と、言って欲しそうな顔をして相談に行けば
そりゃあ「君は悪くない。相手が悪いよ」と言ってくれるだろうさ。
しかしそれが何の解決になるというのだろうか。
そんなものはただの欠席裁判だ。茶番だよ。


・・・こんなことばっか言ってるから
「nakimiは信用できるのに信頼できない」とか言われるんだろうけどね :p)

投稿者 nakimi : 21:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月17日

役に立たない仙台市立病院   [ Column002 ]

私の実家は仙台市立病院まで歩いて行くことができる距離にある。
この市立病院、名前は市民のための病院のように聞こえるが、実は一般の患者はほとんど受け入れない。
母の友人(というか私の同級生のお母さん)は、
どうしても具合が悪いので診察してほしいと申し込んだがアッサリ断られ、
後生だからとすがってようやく「特別ですよ?」と、捨て台詞付きの受診許可をもらったという。
悪名高きあの帝京大学病院でさえ、5000円の大枚をはたけば診察券を買えるというのに、だ。

では地元の人間はどうするかというと個人病院に行くしかないわけだが、これが年々減少している。
なんだかんだ言って、市立病院のそばに新規開業しようという医者は少ない。
(脳神経外科でえらく専門的な機器を取り入れている病院なんかは開業してるみたいだけど)
私が小学生の時には既に老医だったとある病院は廃業までのカウントダウンがはじまっている。
なので、大概のご家庭では車でどこかの病院に行くのが当たり前になってしまっている。

別に病院にかかるのが必ずしも良いことだと言っているわけではない。
いらない薬をもらって、かえって調子が悪くなった話などよく聞く。私も抗生物質で頭痛が出るし。
しかし、いざという時に選択肢が無いというのは困ったものだ。
目の前の白い建物はただ救急車の出入りを見送るためだけの施設に成り下がり、
地元民の健康は度外視されているという現状を見ると憤らずにおれない。

郵政民営化の諸問題について考えていたら「他人事じゃないな」と感じたのがこの件についてだった。
自分で運転して病院へ向かう途中に意識を失ったなんて話はなんぼでも聞くし、
やはり自宅近辺に病院が無いというのは厳しい。
仙台市立病院も、救急病院としての立場はわかるけど、それにしたってあの態度はどうにかならんのか。

地元の老医には何の責任も無いけど、
引退するときは紹介状を1000枚くらい書いてもらわんとシャレにならんぜ、実際。

投稿者 nakimi : 02:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月16日

「NEWS」未成年メンバー飲酒で補導   [ Column002 ]

<「NEWS」未成年メンバー飲酒で補導 ジャニーズ人気ユニット>

別にたいしたニュースじゃないので、いつものような全文引用はナシ。
女子アナがどーたらという関連の話題もどうだっていい。互いに意識が低かったというだけのことだ。

ただ一つ気になったのが、現場となった勾当台公園だ。
NEWSを擁護したい女性ファンなどは、「環境が良くなかった」と叫びたいところだろうが、
この勾当台公園は、とてもじゃないが飲酒に適した場所とは思えない。
表の、噴水か何かあるあたりなら座っておしゃべりもできるだろうが、
一般の感覚では恥ずかしくてそんなことはできない場所なのだ。
まず、庁舎に隣接していることもあり、一歩外は大通り。
繁華街ほどではないが人の行き来は多い。
また、奥に入ると杜の都よろしく無理矢理に植えた木々が茂っており、気味が悪くて宴会どころではない。

こうした現場の環境を考えると、
「彼ら彼女らはどうしても酒を飲んで盛り上がりたかったのだろうな」という結論しか出てこないのだ。
・・・ま、別にアイドルや女子アナがどこで発情しようが知ったことじゃないけどね。

投稿者 nakimi : 21:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月08日

Blog新時代へ向けて・・・   [ Column002 ]

流行に与しないことが自分のアイデンティティを支えてるって人、いますな。
そういう人はよく、「流行ってるからってBlogに飛びつくのは格好悪い」なんて言ったりする。
それはそれで一つのポリシーとして尊重したいと思うのだけど、
CGIを使ったWeb日記をやたらと人に勧めていた奴が「Blog嫌い宣言」なんかしてるのを見た日にゃ
「あー、みんながやってることを否定することで『自分は格上だ』って言いたいんだろーな」と、哀れにすら思える。
第一、ホームページ作成ソフト使って「俺は一般人とは違う」でもねえだろと(笑

私はBlog肯定派でも否定派でもないが、今のBlog・RSSは一つの役割を担っていると思う。
それは、ある一つの話題についてそれぞれのBlogが語っている内容をトラックバックでつなぐことによって、
巨大なデータベースを構築している、ということだ。
だから、「この単語をタイトルに入れるとトラックバックがもらえるから毎回入れよう」
なんて考えで運営されているBlogは迷惑以外の何者でもない。
「自分のページだ。何やっても勝手だろ」という言い分は、RSSを発信している以上、通用しないのである。
以上は私の持論ではない。厳しい世の中になったなというのが正直な感想だ。
だが、それくらいの覚悟を持って運営に臨んでいる人が多数いることは純然たる事実だ。
それだけに、MSNの「気になることば」みたいな単語をやたらとタイトルに使うBlogは見苦しくて仕方がない。
(私が以前の日記をBlogに組み込む際、全てのタイトルを「過去の日記」としたのもそのような配慮があってのことだ)

話を戻そう。
確かにBlogは流行している。
また、ミクシィ型のコミュニティは2007年までに1000万人を突破するだろうとの見通しもある。
それを浅ましい見苦しいと捉えるのは個人の自由だ。それについて文句はない。
しかし、一つの文化を形成しつつあるこの風潮を
「私は流行を追うだけの一般人とは違うのよ」なんて理由でスルーしてしまうのはもったいないと思うのだが、
いかがなものだろう?

投稿者 nakimi : 23:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月06日

郵政法案に反対の副大臣ら4人罷免、当面は空席に   [ Column002 ]

今、一流大学出身の友人と電話をしながらこのエントリを投稿している。
話の最中にこの「副大臣ら罷免」のニュースを見つけたので話題に提供したのだが、これがどうも噛み合わない。
「小泉のやり方も陰湿だよな」と言う私に対して
「でも温情措置ってやつじゃないの?」と返す友人。
私も別に真剣な議論は求めていないので「うーん、まぁねぇ」と軽く流していたのだが、どうもしっくりこない。

小泉は以前、
「郵政民営化に反対ならば、私を首相に選ばなければよかったんだ。私を選んだということは私の意見も選んだということだ」
という内容の発言をしている。
しかし最近になって
「郵政民営化に反対する人間が私の次(の総理総裁)に相応しいとは思えない」
と、恫喝まがいの発言で反対派を牽制している。都合のいい男だ。
そういったことも含め、私は郵政民営化のゴリ押しには納得できなかったわけだが、
そのあたりで友人と意見の食い違いが出たのかと思いきや、真相は意外なところにあった。

まずはYahoo!辞書より引用。

ひめん【罷免】
公務員をその意に反してやめさせること。
「大臣を―する」

ひめん‐けん【罷免権
内閣総理大臣が、閣僚の国務大臣を罷免できる権限。日本国憲法第六八条に規定。

ポイントはここだった。
実は彼、この言葉を「最大限の温情措置で辞めさせること」と理解していた。
ではなぜそんなことになったのかというと、原因はひと昔前の大人気漫画「幽☆遊☆白書」にあったのだ。
これの最終章で、
「実は魔界の妖怪を悪者に仕立て上げていたのは霊界であり、過去に様々な悪行が行われていた」という話が出てくる。
そしてとうとう閻魔大王が失脚するわけだが、
自ら閻魔大王の悪事を暴きながらも父親を告発したことに心を痛めるコエンマに対して
「閻魔様が罷免で済んだのも、皆からの人望が厚いからですよ」と、部下が慰めるシーンがあるのだ。
私自身、単行本を読んだのは数年前になるのにしっかり思い出すことができるくらい印象深い場面だ。
さぁこの「罷免」の使い方。当時中学生だった我々からすれば勘違いしても無理はない。
彼にとっての罷免とは、「クビになって当然のところを助けてやる」という意味で固まってしまったらしい。
30分かけてようやく真相に辿り着いた時は二人で大笑いしてしまったよ。


クビにまつわる温情措置と言えば、岡光厚生事務次官の汚職事件が思い出される。
クビになって当然のはずがなぜか辞職願いを受理してしまい、退職金までくれてやるという
「泥棒に追い銭」を地でいくようなエピソードまでついてきたが、
その辞職願いを受理してしまった馬鹿な厚生大臣が誰だったか・・・賢明なる皆さんなら当然覚えてますよね?
・・・そういやその当時から郵政民営化って騒いでたっけなぁ・・・。

投稿者 nakimi : 00:30 | コメント (1) | トラックバック

2005年07月03日

ダイナシティと中山道   [ Column002 ]

マンション業界の風雲児 覚醒剤所持で逮捕


マンション販売会社「ダイナシティ」の社長が覚せい剤所持の罪で捕まったらしい。
(記事全文は追記に保存)

別に会社に罪は無いんだろうけど、それにしてもダイナシティと聞いて思い出されるのは営業の"ひつこさ"だ。
「EXILEが宣伝している会社なんですけど...」
「今の家賃よりも安くマンションが持てるんですよ?」
「賃貸は何も残らないけどマンションは資産ですから」

これの繰り返しで、まだそういった身分に無いというこちらの言葉を抑え込んでしまう。

なんぼ資産になるったって、35年ローンでシングル用のマンションなんか買えますかっての。
・・・あ、いや、世の中にそういうニーズがあることは否定する筋合いじゃないけど、
こっちはいらないと言ってるんだから勝手に人生設計を語られても困るのよ。
それに、管理費だなんだって結局雑費がかかるだろうから、単純に家賃と比較することはできないしね。

乗ったフリして話を聞いてあげたら、
最後に「お名前を教えていただけますか」と言われてたまげたこともある。
数撃ちゃ当たる戦法なのは百も承知だけど、それでも気分のいいもんじゃないよね。
・・・だから、私の中でダイナシティからの電話は怪しい勧誘電話と同じ分類になっている。


あーあ、テレ東の「中山道」(ダイナシティの一社提供)どうなっちゃうんだろ。
6月30日放送分では見栄晴がマンション紹介する代わりにAC(公共広告機構)のCMが5本くらい入っていた。
ヒデちゃんの番組を見てるなんて言うと伊集院リスナーあたりから嘲笑されるかもしれないけど、
(絶対「勝手にブログ」にそんなネタ投稿してくる奴いるはず)
あの番組、けっこう面白いんだよなぁ。


--------------------------------------------------
xreaへの増量申請が通った。
これで書き溜めた文章や、BARで飲んだお酒を紹介できる。
条件を満たしたうえでの審査と敷居は高いものの、100MBから150MB貸し出してくれるあたりは流石だ。
さくらやロリポップサーバーに浮気も考えたが、無料というのは何より大きなアドバンテージだ。

・・・いつも文句ばっかり言ってるから、たまには誉めないとね :p)

投稿者 nakimi : 05:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月02日

高速バスの悪夢[500!!]   [ Column002 ]

友人の勧めで格安の高速バスに乗ったのだが、これが大失敗だった。
その失敗を一言で言うなら、「安いバスには安い人間しか乗っていない」と表現すべきだろうか。

まず出だしから躓いた。乗客の一人が30分近く遅刻してきたのだ。
なまじ携帯電話の番号を控える予約システムであったばかりに、
連絡して相手の言い分を聞かざるを得ないのだろう。JRバスなら泣こうが喚こうが待ってくれない。
しかもその客、ようやく到着して席に着いたと思ったら隣の客とペチャクチャはじめる始末。
これに腹を立てた乗客の一人が
「(待たされた我々に対して)すいませんくらい言ったらどうですかー」と叫んだのだが、
既にエンジンがかかっている車内では相手の耳に届かず、結局は周囲の雰囲気を悪くさせただけだった。
この騒いだ客は遅刻者が到着する前にも
到着時間はどうなるんですかー」と乗務員に食ってかかるなど、いかにもクレーマーの様相を呈していた。
そんなに時間が惜しいなら新幹線か何かに乗ればいいのに。

それとは別に、我々の前に座った二人組は座席を限界まで倒して高鼾。
こちらも同じように背もたれを倒せば空間は確保できたのだが、
ツケを最後尾にまわすのも不憫なので、私のところで食い止めることにした。
おかげでエコノミークラス症候群になりかけたよ(^_^;

休憩所も近年希に見る醜さ。
ちゃんと喫煙所は用意されているのに、わざわざ離れたベンチに腰掛けて、携帯で話しながらスパスパやっている。
休憩所で見掛けたそんな阿呆喫煙者の全てがこのバスの乗客なのだから呆れるしかない。

仙台-東京 間が約3000円と、大変魅力的な料金設定ではあったが、
私は彼ら彼女らのような安っぽい人間にはなりたくないので、もう二度とこのバスには乗らないだろう。
素直にJRバスを利用するか、新幹線を使うことにしよう。

投稿者 nakimi : 00:50 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月21日

生協の問題点   [ Column002 ]

最近、生協についての話を聞くことが多い。
ある人はそこでのバイトが大変だと言い、またある人は「生協は共産党の資金源だから騙されるな」と言う。
そういった風評はともかくとして、身近な問題となっているのが宅配だ。
私の実家はもう20年近く、みやぎ生協の宅配を利用している。
元々は子供会の付き合いではじめたことだったが、今では生活の一部になっているようだ。

「子供会の付き合いで」ということからもわかるように
一戸一戸に宅配されるサービスではなく、グループ配(共同購入システム)に参加しているのだが、
最近、これの到着が2時間も3時間も遅れるようになったらしい。
理由は簡単。近くにマンションができて、そこの住人が戸別(個人)宅配を頼んでいるからである。

地域ごとによって違いはあるだろうが、グループ配が送料無料のところ、
戸別配送でも一回240円の料金で利用できる。
荷物を持っての上り下りを考えると、「240円であれば払ってしまおう」という人が多いようだ。
それは別にいい。いくら近所づきあいが大事だと言っても、
今小学生の子供を抱えている奥様方が、20年前からあるグループに溶け込むのは大変だろう。

問題なのは、なぜ、みやぎ生協の配達員は20年来の信頼を裏切ってこちらを後回しにしているのか、ということだ。
「信頼を裏切って」などと言うと、「常連顔してんじゃねーよ」と言われそうだが、そういうことではない。
20年間、毎週何曜日の何時にはどこそこに行って荷物を受け取るというリズムができているのに
それを崩されるのはたいへんな迷惑なのだ。

確かに、玄関先までドライバーが訪ねていく戸別配送の方が
遅れたときに直接クレームをつけられやすいから大事にしたいのはわかる。
しかし、だからといって一方をないがしろにしてもよいということはないのだ。
4時のつもりが6時になって、
その2時間、買い物にも出られず無駄に過ごさねばならない主婦たちの迷惑を考えたことがあるのか?


今まで4時に到着していた地域が6時になってしまうのであれば、2時間早く営業所を出発する努力をするべきだろう。
あまりそこを声高に叫ぶと生協で夜勤を頑張っている友人に重荷がかかりそうなのでほどほどにしておくけど・・・
それにしたって最後の歪みを利用者に押し付けて「生活協同組合」もないもんだと思いません?
戸別訪問に時間がかかるんだったらドライバーのほかに配達員を乗せるとか、いくらでもやりようはあるはずだよ。

いっそ「みやぎ生協はベストエフォート型のサービスです」とか宣伝してみたらどうかね? :p)

投稿者 nakimi : 18:22 | コメント (1) | トラックバック

2005年06月17日

タイガー&ドラゴン相変わらず絶好調!   [ Column002 ]

クドカン強し!! ドラマ中間満足度『タイガー&ドラゴン』が1位!

タイガー&ドラゴンが相変わらずの人気らしい。
私の周りでも落語に興味を持つ人が少しずつ増えてきた。

しかし先週放送分はいただけなかった。
ドラマ全体としての落ちも甘かったし落語の下げ方も今ひとつだった。
(「誰なんだろう?」の扱いがやや強引だったし)

ただいま番組放送20分前。
公式サイトによれば、今日放送分の第10話を見ないと最終回の楽しみが半減するとのこと。
そう聞かされては見ないわけにいかないが・・・
またヤクザのドンパチみたいなのだとガッカリだよ?
今回も出るらしいあの関西の役者さん、いい味出してるのは確かなんだけど、世界観にそぐわないのも事実。
どういう風に転がるんだか・・・


--------------------------------------------------
(追記)番組鑑賞後22時56分・・・

来週予告に「子は鎹」とあったが、これは「子別れ」のことだろう。
「花色木綿」を「出来心」としたのとベクトルが逆じゃないか。
なんでそんな呼び名にしたんだか・・・
※(一つ考えられるのは、タイトルでサクっと検索してしまうドラマ通を封じるためという説だが)

同じドンパチでも今週は面白かった。さてさてどうなる最終回?

「え?あたしが鎹?だからお父っつぁんがげんのうでぶつと言ったんだ」

投稿者 nakimi : 21:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月15日

山口県立光高校爆発事件、同級生ら「いじめた」証言   [ Column002 ]

光高校爆発事件、同級生ら「いじめた」証言
(全文は追記に保存)

この記事によると、加害生徒へのいじめは確かに存在していたようだ。
校長が保身のためにまずは「認識していない」と発言するのは恒例なので予想通りといったところか。
驚いたのは被害生徒らが、
「彼があのような行動に出たのは自分たちのせいかもしれない」などと話したという部分。
高校三年生と言ってもまだまだ純な子がいるんだね。

県教委なども含めてやっと全校生徒の心のケアに乗り出したようだが、遅すぎる。
それこそ蔵王高校の件もそうだけど、生徒を製品としてしか見れない教師が多すぎるから問題が起きるんだ。
4月11日の記事はYahoo!のTOPに引っかかったこともあり、様々な意見が寄せられたが、
その中に「蔵王高校の雰囲気はアットホームで先生はとてもいい方ばかり」というものもあった。
そのコメントは嘘ではないのだろう。
よくNTTなんかが問題を起こしてそれについて議論していると
突然擁護する書き込みが出てきて、「社員じゃねーの?」などと叩かれるパターンがあるが、
蔵王高校をかばうコメントがあったからといってそのように揶揄するつもりはない。
ただ、今回の山口県立光高校の事件を改めて見てもらいたい。
生徒の大半は幸せに暮らしていた。だからって「学校には一切の非がない」とは誰も言わないでしょう。
一人でも不幸な生徒を出したのであればその学校は責められるべきだし、責任を取るべきだと思う。
その部分が、蔵王高校の場合は生徒からの訴訟という形になって現われた。それは受け入れなければいけない。
やみくもに「先生は悪くない!」と叫んでも意味のないことだ。

話を光高校に戻すが、別に加害生徒がかわいそうとか、そういうことを言いたいわけじゃないんだ。
誰だって辛い思いはしている。それを、無関係の生徒まで巻き込んで攻撃しようなんて考えちゃいけない。
ただ・・・日曜日のTBSニュースでも気になったんだけど、
「反省の言葉はなかった」っての、そんなに大事なことですか?
決意の上で大事件を起こして、それだけでも精神状態はかなり緊迫しているのに、
捕まって閉じ込められて尋問を受けているわけでしょう。
そこで「さあ、申し訳ないと言え!」ったってホイホイ出てくるもんじゃありませんよ。
このタイミングで簡単に「申し訳なかった」なんて言える方が信用ならないと思うんだけど・・・。


今の教育界の流儀に倣って学校を生徒育成工場だと考えたとしてもだよ。
一つの部品からエラーが出たのを知っていながら
「その修正に時間を割くことは全体の作業効率を落とすことになる」なんて言い訳してエラーを無視して、
結果、その部品が原因で工場が大爆発を起こしたとしたら悔やんでも悔やみきれないでしょう。
教育界ってところでは、JR西日本の大事故が何の教訓にもなってなかったんだね。非常に残念だよ。

投稿者 nakimi : 01:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月13日

仙台市地下鉄東西線は必要?不要?   [ Column002 ]

諸事情により一時帰省中なのだが、実家の郵便受けにこんなチラシが入っていた。

どうやら美しい仙台を創る会仙台市民オンブズマンという市民団体が中心となって
仙台市地下鉄東西線の是非を問うているようだ。

私は「へぇ、東西線が通るんだ」くらいの感覚しかなかったのだが、どうも問題が山積しているらしい。

このチラシでは
 ・仙台市が国に提出した利用人数の見積もりが多すぎるとして修正を求められたこと(赤字路線化)
 ・運行区間が現在のバスに比べて遠回りになる地域が多いこと
 ・景観が壊されること
などがあげられている。
一番下の景観というのは、一見地下鉄問題と無縁のようだが、
杜の都の象徴であるケヤキ並木を切らないと地下鉄工事はできないのだという。
「植樹で杜の都とは笑わせる。本来の自然を守れ」という声もあるのだから
ケヤキ並木を守るために地下鉄を通すなというのは理屈として微妙だが、
それにしたって切らなくていいものをわざわざ切ることはない。
さらに、今年の全国ニュースを賑わした西公園の桜も切られることが決まっていると言うし、
その他にもしなくていい自然破壊がてんこ盛りの計画らしい。
(詳しくは創る会が公開しているPDFファイルを参照していただきたい)

彼らの主張は簡潔だ。
「巨額の費用をかけて自然を切り崩し、赤字路線を作ってどうするのだ」
ということ。
市民団体の主張というと大局を見れない無茶なものも多いが、これについては筋が通っている。

もちろん、開通予定の地域に住む人からすれば
「私たちから地下鉄を取り上げないで!」という気持ちもあるかもしれない。
明瞭にカタをつけるにはそれこそ署名が必要だろう。
署名と言っても水道橋駅の前でやってるような「人が多そうだから片っ端から声かけちゃえ」なんて署名ではなく、

「私は開通予定の沿線に住む者だが、市民の不利益になるのであれば開通を求めない」
Yes or No

なんて感じに、きちんとターゲットを絞って実施すべきだ。
これでどうしても目の前に駅が欲しいと言われたら市民団体も引っ込むしかない。
環境問題も大切だが、まずはそこからはじめるべきだろう。

・・・しかしまぁ、藤井市長は何を考えているんだか。
もう立候補しないからって市政を投げてもいいってもんでもないだろうに。
さすが、東京の学者先生のご機嫌を損ねないために未来ある若者の名誉を傷つけるクズだけのことはあるね。
特に汚職もなく任期満了したことから、「藤井政治を継承します!!」みたいなのも出てくるんだろうけど、
それが果たしてイメージアップにつながるのかどうか・・・。

投稿者 nakimi : 22:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月03日

6月2日 テレビ東京 野球中継の延長で   [ Column002 ]

水曜日のフジテレビでは野球中継が30分延長になった。
直後に放送が予定されていたトリビアの泉を録画するため
フジテレビ公式サイトをかじりつきで見ていたのだが、
はじめに見たときは21時10分から開始となっていた。
そうか、延長の目処は立っているのかと思い、そのままに予約時間を修正すると、
その時間になっても試合をやっているではないか。
どうしたことだとまた公式サイトを覗くと今度は21時25分からとなっている。
まぁ、予定外のことでもあったのだろうと予約時間を修正。
時間になり録画がスタートすると、画面に表示されたのは「レインボー発」
・・・いや・・・わかるんだよ?
その時々に番組表を見た人が最新の情報を得ることができるってのは素晴らしい試みだ。
だけど、例えば23時からの番組を予約して出かけたい人にとってみれば迷惑極まりない。
もう少し利用者のことを考えてくれるとうれしいのだが・・・

と、ここまででも一本コラムを書いたなという風に見えるのだが、本当はこんなこと書くつもりはなかった。
友達にちょいと愚痴って「アテにならないな」と笑えばそれで終わり・・・の、はずだった。
それをわざわざ書いた理由はコレだ

上の画像はどちらもテレビ東京の公式サイトである。
画像中心部の「中山道」という番組は通常1時30分からはじまるのだが、ここでは2時6分からということになっている。
野球が36分延長したということを示しているわけだ・・・が、
全ての番組はなぜかこの番組表の予定時間より5分ほど早くはじまっている。
これはどういうことなのか???

フジテレビの場合は未来の話だったため、「まぁ仕方ないか」で済まされるが、
テレビ東京の場合は野球からあとの番組表が全てズレており、まったく役に立っていない。
これはもはや、視聴者の気持ちを考える以前の問題だ。

野球中継の延長には昔から賛否両論あるが、
慣れてない局が他局にならって延長する意味があったのだろうか。
インターネットやCS放送など、人々の趣向が多様化した時代に、
「野球中継とその他の番組」という位置付けでいいはずがない。
くだらないこだわりは捨てて、もっと視野を広げていただきたいものだ。
ラーメン発見伝でもよく出てくる言葉だが、「全て野球はこうあるべし!」と決め付ける人が多すぎる気がする。
ちょうどkasahara氏が宮城球場のドーム化に反対しているが、反対すること自体は悪くない。
神宮球場のあの雰囲気なんかは素晴らしいと思うので、野外の良さももちろんわかる。
ただ、「ドーム化とかそういう議論には発展して欲しくない」という書き方には違和感を覚えた。
こだわりの野球ファンによる「野球観戦はこうあるべき」という決め付けが、
本来得られるべき利益を損なっている可能性も否定できない。
やはり、物事は常に多面的に見て常により良い方向を目指すべきだろう。
 (ちなみにラーメン発見伝の場合、
 「ラーメン屋は大衆料理店であり、家族連れで団らんする場である」という考えに固執したオジサンが
 店内で騒いだ我が子が注意されたことに激昂し、挙句ネットで店の悪口を書き散らすという内容だった)
話を中継延長に戻すが、テレビ局らしく数字主義で延長の可否を決めるのもいいだろう。
あるいはそれこそネット投票制度なんかを設けても面白いかもしれない。
9回裏5-5の試合だったら最後まで見たいとかいう融通が効く。
「全てのナイター中継は30分ないし60分まで延長するもの」
という考えにとらわれていてはこういう発想すら生まれないのだ。

昨日書いた「古典を大事に」という話と矛盾しているように聞こえたかもしれないが、
能動型の娯楽か受動型の娯楽かによって我々の判断はまったく変わってくるのだ。
(それに昨日だって改作が悪いとは言ってないんだよ。改作があるから原型も守ろうって話なんだ)

投稿者 nakimi : 03:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月02日

三遊亭円楽、27年振りに末広亭出演   [ Column002 ]

・・・と、いうニュースを一昨日のバツラジでやっていた。
そのニュース自体も業界騒然ってくらいに凄いものだったのが、
番組は「タイガー&ドラゴンのせいでマナーのなってない若者が増えた」という方向に。

「許せない客」としてあげられていたのが
 ・ベタベタしてるアベック
 ・弁当を食べに来てるだけのオバサン
 ・漢字が読めない十代のギャルたち
 ・面白くもないところで笑っていたオバサン&ギャルたち

もちろん全てに同意したいのだが、
二番目の弁当を食べに来るオバサンだけは強く責めるのもどうかなと思ってしまう。
落語は芸であり芸術ではない。
「あっしは芸人なんでね。お前さんたちのように術なんか使いませんから」なんてセリフがあるくらいのものだ。
芸術鑑賞なら許されるはずもない飲食も許されるのが寄席ではなかったのか。
だから売り子がいるのだし、中で食べても良いとわざわざ書いてあるのではないか。
いや、そりゃあ、お目当てが出てきたところで隣からとんかつソースの匂いがしてきたらイヤですけどね。
以前、私が横浜にぎわい座に行った時、遅れてしまったので泣く泣く仲入りまで待ったという話をしたが、
あれだって本当は気にすることなく入っていいんだよ。
好きなときに入って好きなときに出るのが寄席なんだから。

三番目の「漢字が読めないギャルたち」というのには補足があって、
「(高座を指差して)あの人だれ?」「知らなーい」「笑点に出てないよね」「有名じゃないんじゃないの?」
というやりとりがあったというものだった。
そこまでお馬鹿なギャルが本当にいたかどうか疑わしいところはあるが、とにかくこれは糾弾の対象に相応しい。

そう言えば円楽師匠の演目は「仲蔵」だったとか。
この間、「タイガー&ドラゴンで扱えばいいのに」とここで書いたばかりだからえらくタイムリーだったね。
ただ、先週のあのドラマを見て知ったんだけど、
人情噺は基本的に扱わないみたいだからたぶん題材になることはないんだろうな。
「泣ける噺の方が笑える噺より上だって威張ってる野郎がいるからだよ馬鹿野郎!」
なんてシーンがあったが、ま、確かにそういう傾向はありますな。
しかしそれを「悪」と決め付けてしまうのはいかがなものか。
人情噺が大切にされる背景には、
落語人気衰退のたびに飛び出す珍芸や改作ブームから古典を守ろうという、先人の戒めがあるんだ。
それを「人情噺が上手だからって威張るんじゃねぇや」というのはちょっと違う気がする。
最近は「泣かすのは簡単だけど笑わせるのは大変」なんて言われる世の中だけど、
それって「北風と太陽」に影響されすぎなのでは、という気がしなくもない。
やっぱり泣かせる技術ってのは大変なもんなんだ。
高座の上から客を見下ろして、馬鹿っ話の一つもすりゃあ客は笑ってくれるだろうが、
泣かせる話をしている最中に一箇所しくじってみねえ。客ぁみーんな白けちまう。
私も笑える話の方が好きだし、落語界のあり方に一石を投じようとしたクドカンの気持ちはわかるが、あのセリフは行き過ぎだ。

それと、来週(もう今週だけど)の予告、
出演者がそれぞれキャラに合わないことをしているのを見て
つい「体と心が入れ替わったとか?」と考えてしまうのはやっぱり尾美としのりが出ているせいだろうか(苦笑

・・・ま、話は遠回りになったけど、円楽師匠の「仲蔵」聞きたかったなぁ・・・というお話。

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2005年05月28日

「嫌ならば見なければいい論争」について   [ Column002 ]

以前にも何度か参照させていただいたもなQらいと様にこんな記事があった。

このお話、前半部は読んでいて納得させられることばかりだったのだが、後半部に関しては多少の疑問が残った。

「嫌ならば見なければいい」という、書き手にとって便利な一言。これについては私からも反発がないではない。
誰かを不快にさせる文章を書いた人がそれを注意されて逆ギレした、というケースであればまさにご指摘の通りだ。
しかし、「嫌なのに見に来る」人がどういう目的をもって何度も来訪してそのサイトを攻撃しているのか、
それを見ずして一概に「嫌ならば見に来なければいいというのは責任放棄である」としてしまうのは
逆に危険なのではないだろうか。
「嫌ならば見なければいい 論争」「『嫌ならば見なければいい』は見苦しい 論争」に発展しても無益だろう。

書き手の責任を問うことももちろん大事だが、
読み手の責任ということについても考えるべきではないだろうか。
例えば、少々乱暴な物言いであっても、そこから問題意識に火がついて、結果として有用な記事であった、というケース。
この元記事についていちいち指摘する読み手はよほど周りが見えていない人、ということになる。

読み手に「読む自由」と「感想を述べる権利」があるのであれば、
それに付随する責任と義務について先に考える必要があるのではないだろうか。
「あなたは読み手の自由を侵害している!」と叫ぶことよりも
自分がその文章を読んで何を感じ、何を得たか、そちらの方が重要なのではないか。
それをせず、なんでも論争に発展させてしまうのは愚かなことだ。

互いに便利な一言を探しているだけの議論がいかに不毛であるかは
「嫌煙者はヒステリー」という言葉がいかに論争に便利で身勝手であるかを考えてもらえばわかると思う。


「書き手と読み手」とは関係なくなってしまうのだが、知人のラジオDJが
「番組で発した言葉について、どんなに神経を使った表現でもかならず毎週クレームを入れてくるリスナーがいる」
と、ボヤいていた。
「性善説の中に生きる悪」か、「性悪説の中に見えた善」か、
いやはや、物事の見方というものは本当に難しい。

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2005年05月26日

Gallop誌に見る競馬の陰と陽   [ Column002 ]

競馬雑誌「Gallop」に「読者の広場」が復活してしばらく経つ。
客目線からの提言と呼べるものももちろんあるのだが、身勝手な意見に見えてしまうものも少なくない。
それに加えて知識自慢さん。
先週のオークス特集号に載っていた
「今では当たり前の美浦坂路コースも故・戸山氏の進言によるものであることを皆さんはご存知だろうか?
という投稿には思わず吹き出してしまった。
その後延々とミホノブルボンの話になるわけだが、
Gallop誌の読者であれば七、八割の人は知っていて当然の知識なのに、
「この人は誰に向けて知識自慢をしているのだろうか?」と思うと笑わずにはおれなかった。

こうした投稿を見ることで改めて考えさせられるのが、同誌カラー面に掲載されている「有券者の声」だ。
対象レースに対する満足度を一つ星から五つ星までで評価させようというものだが、
五つ星は馬の強さやレースの素晴らしさを語っているのに対し、
一つ星は「このメンバーはG1じゃない」「枠を敗戦理由にするな」など
レースそのものに対する感想と言うよりは馬券の恨み言が多く、見ていて気分が悪くなってくる。
もちろん一行二行のコメントでは建設的な意見を語るのは難しいだろう。
しかし、一方はレースに対する感想でもう一方が脇の部分ばかり指摘していては話が噛みあわないだろうに。
このページはまさに競馬ファン陰と陽の縮図と言えるのではないだろうか。

私も含め、競馬ファンは自由な視点から好き勝手言うことが多い。
ファン同士でも「それは違う」「見苦しい」と感じる部分もあることだろう。
しかし、騎手や関係者がそれをバッサリ斬るのはちょっと嫌な感じがするものだ。
2月に北野義則氏が語っておられたように、客を客とも思わない態度の関係者は言うまでもなく問題だが、
外からの声に敏感な騎手も、結果を出さなければ逆に見苦しい。
例えば蛯名騎手は、ファンの声に敏感な分、「こういう意見があるようだが・・・」という論を展開させることが多い。
我々にとっては勉強になる反面、じゃあ次はその教訓を活かしたレースをしてくれよ、と思ってしまうのも当然のこと。
ちなみに今週のWPBでは昨年のダービー3着について、
「馬券を買ってくれたファンには申し訳ないことをしたが、あれも競馬だということをわかってほしい」
と述べている。
ま、北野氏のコラムからすれば「馬券を買ってくれたファン」という言葉自体が問題なのだが、それは置くとして、
「勝つ可能性がある馬はイチかバチかの勝負に出るのも競馬だから、敗戦を責めないでくれ」
と、騎手本人が言うのはどうなんだろう???
これを公にコメントすることで蛯名騎手は何をアピールしたかったのだろう?
「僕は今後もイチかバチかのレースをするので買わないほうがいいですよ」ってこと? まさかね・・・
独自の論理を展開するのは立派だけど、度が過ぎると田原みたいになっちゃうよ。
 (「天才は何をしてもいい」みたいな田原ファンの理屈にもウンザリだ。
 武豊が記者の顔にムチを振って歯を折ったか?岡部が薬物に溺れたか?
 一流の騎手というのは素行も含めて一流なのだ)
蛯名騎手は一日も早く、「ESP(蛯名スペシャル=出遅れ癖)」などというあだ名を払拭するよう精進していただきたい。

投稿者 nakimi : 07:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月23日

親ほど理解るものはなし   [ Column002 ]

歌手(?)のSAYAKAに、母・松田聖子との不仲説が浮上しているらしい。
ゴシップを承知で鵜呑みにすると、SAYAKAの彼氏である北野正人というギタリストが原因のようだ。

母の思いが重荷だったというのはよくわかる。
「私は母の『やり直し』じゃない。私の人生は私のもの」
その考え方はおおいに結構だ。
・・・ただ、年頃の女の子というものは、
「親と違ってこの人は本当の私を分かってくれている」などという勘違いをしやすい。
「君なら大丈夫だよ」とか、「君の方が正しいよ」なーんて言葉にフラフラと吸い寄せられてしまうのだ。

世の中で誰が「本当の自分」をわかってくれてるって、
親以上に自分を理解してくれている存在などないんだよ。
目の前の男はただ同意して応援してくれているだけ。
その応援だって、本心なのか下心があってのことなのかわかったもんじゃない。
そこを勘違いしちゃう子が多いんだよなぁ・・・。

私の場合は、旧・遊狂倶楽部のプロフィールにも書いたように、
「一番信用できるけど一番信頼できない」男と呼ばれている。
私は基本的に正論しか言わないので
「限りなく正しいことを言おうとしているのはわかる(信用できる)けど、目の前の相手に優しくない(信頼できない)」
と、言われてしまう。ある意味『癒し系』の対極だな(苦笑

ま、それはともかく、SAYAKA嬢も早く親と和解してもらいたい。
世の中で親子喧嘩ほど見ていられないものは無いのだから。
前述したように、この世の中で親ほど自分を理解してくれている存在はない。
ただ、親は親で色々と気質が違うから
献身的に陰から支えてくれる親もいれば、自分以外のキャディーは認めないという親もいるというわけだ。
聖子ママがでしゃばってくるのは、それこそ「芸能人の親を持つ子の宿命」だろう。
そこから目を背けて「私は私」もないものだ。

投稿者 nakimi : 19:23 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月21日

埼玉県立高の女子生徒、「強制謹慎」で留年   [ Column002 ]

埼玉県立高の女子生徒、「強制謹慎」で留年
(記事本文はリンク先のほか追記にも保存)

JR西日本の事故があった後、全国でオーバーランが指摘されるようになったが、
それと同じで、何か他できっかけがあるとこういうニュースが続出する。

生徒は学校内で「弱者」の立場だ。強制的に退学を促され続けて文句も言えない。
だが、以前の宮城県立蔵王高校のようなニュースがあると勇気付けられて告発しようという空気が出てくる。
世を憂いたくはなるものの、ある意味では良い傾向だと言えるだろう。

さて話の中身について
もちろん、当事者同士でなければわからない部分も多々あるとは思うが、
「たかが落書きで退学?」というのが正直な感想だ。
高校生の落書きをそれほどまでに咎めたその理由とはなんなのだろう?
・・・と、言って、「落書きの内容が学校や教員を批判するものだったから」などと考えるのは飛躍しすぎだ。
仮にそうであったとしたら生徒側はもっと強気の態度で交渉しただろう。

学校側からすれば厄介払いに加えてみせしめの意味もあったのかもしれない。
アメリカがイラクを空爆して世界に「強いアメリカ」をアピールするようなものだ。
「学校に逆らうとこうなるぞ」と、一人の生徒の人生を使って示したわけだ。

双方に言い分があるのは間違いないことだし、
教育現場の秩序を考えれば学校側に問題があると決め付けるわけにはいかないが、
学校や教員は人の人生を預かっているという自覚を持つべきだろう。
「厄介だからハイ退学~」ではあんまりだ。

世の中に素行の悪い生徒がいるのは確かだ。
しかし、入学試験を経てその学校に在籍している生徒であれば、そこで指導を受ける権利がある。
「形だけの面接試験をして、実際はペーパーテストの点数で足切りするだけ」
・・・それで素行不良の生徒が出たとすればそれは学校側も責任を取るべきだろう。

私の出身校は生徒数が多いため、だらしない恰好をして駅前でフラつく生徒が多かった。
だから私は後輩を指導するときに
「この制服を着ているだけで相手は君たちのことを色眼鏡で見るだろう。
だから他校の生徒以上に礼儀に気をつけて活動しなさい」
と言い続けた。
そして後輩諸君は私の期待に応え、ちゃんとしたインタビューテープを作ってきた。
これが指導というものだ。

「学校のイメージを保てる生徒を残す」んじゃないんだ。
「生徒への指導が学校のイメージを育てる」んだよ。

投稿者 nakimi : 14:00 | コメント (0) | トラックバック

落語ドラマ「タイガー&ドラゴン」大人気!   [ Column002 ]

学生にも人気の高い『タイガー&ドラゴン』『離婚弁護士2』

先々週・先週同様、もちろん今週のテレビ王国でも1位を獲得していたタイガー&ドラゴン。
ジャニーズ人気という以上の熱気を感じるのは私だけではないはずだ。
ただ、それだけに、寄席や演芸場が”荒れる”のでは、という不安は続くのだが・・・
ここはケチ臭いことを言わずに、落語人気の再燃を祈るとしよう。

>「面白すぎる。面白いだけでなく感動できる。最高のドラマ」
という感想を持った女子中高生がいたらしいが、
私が一番「粋だなぁ」と感じたのは正月のスペシャル版のワンシーン。

放蕩息子(岡田准一)が久々に家に帰ってきたが結局ケンカして家を飛び出してしまう。
小遣いをもらうか泊まっていくかのアテが外れて、
「歩いて帰るのかよ・・・」とつぶやいたところに兄嫁(猫背椿)が歩み寄り、
「ウチの子、二歳になったんです。抱いてあげて」と娘を抱き渡す。
姪っ子を抱いて両手の塞がった放蕩息子のポケットにさりげなく小遣いを入れてやる兄嫁。
「くれ」とせがむわけでも「あげる」と押し付けるでもない。でも困った人は見過ごさない。これが『粋』ですよ。
いやー。とんでもない名シーンだったと思うね。
逆に一番笑った・・・というか失笑したのは春風亭昇太師匠演ずるどん吉が
タレント活動している兄弟子を見て「あたしゃテレビが嫌いだから」と言ったシーン。
いや、あんた、本業がテレビリポーターじゃないの?ってくらいじゃないですか(苦笑

それと、
>ドラマを楽しんで落語についての知識が得られるお得感もあるドラマだと思う
ってのは勘違いも甚だしいんだけどね。
だって、ちゃんと下げまでいったネタなんて何本もなくて、亜流の落ちしか見せてないんだもん。
小虎(長瀬)が古典古典言うから、すっかり王道を踏襲したって認識されちゃってるみたいだなぁ。


落語人気と言えば波があって、浪花節や義太夫などに人気を奪われながら交互に人々を熱狂させてきた。
特に明治前後の娘義太夫(タレギダ)なんてのはそれはもうえらい人気だったそうで。
どうする連(だったかな?)だかっていう追っ掛けがいたらしいね。
 (検索すりゃそれは正しい知識に辿り着くかもしれないけど、
 ドラマ人気で知識自慢さんがいくらでもいるであろうこのご時世にそんなことをする意味はない。
 ・・・そんな言い訳をしながら、おぼろげな記憶を元にタレギダを語ってみました)
当時の人からすればそりゃ不純に感じたでしょうな。
芸を競うはずなのに、やれあそこの義太夫はキレイだのとそんな理由で客席が埋まるんだから。
そこからいけば「長瀬く~ん♪」と、ドラマを見て落語に興味を持ってもらうのもアリと言えばアリなわけだ。
あくまで席側の理屈ですがね。

ところで来週放送予定の「猫の皿」
タイトルを聞いただけではピンとこなかったが、
泥縄で調べてみたらなんとなーーーくだけど聞いたことがある気がした。
・・・でもこれをどうやってあのドラマに組み込むのかな?
ああいうアレンジの仕方なら「仲蔵」なんかハマると思うんだけど、どうだろうね。
(別に嫌煙者だからってたばこの噺が聞けないってこたぁないんだよ[苦笑])

投稿者 nakimi : 00:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月18日

三重の丸刈り事件、続報   [ Column002 ]

同級生が丸刈り撮影も 三重の中学生いじめ
(記事本文はリンク先のほか追記にも保存)

昨日ここで取り上げた、中学生が修学旅行中に同級生の頭を丸刈りにした問題について続報があった。
これによるとこの同級生らは被害者生徒を丸刈りにした様子を携帯電話で撮影し、その写真を配布していたという。

これで、私が昨日述べた「面白がっていじめる」という構造であることが確定的になったわけだ。
「アイツのことこうしたら笑えね?」という悪巧みが現実のものとなり、
写真撮影から配布に至ったのだろう。

個人情報保護の風潮がある昨今、
以前ここでも取り上げた人権擁護法案などが通れば、加害者の顔はますます見えづらくなるが、
いじめられた被害者は弱者のレッテルを貼られて生きることになるのだから問題は深刻だ。
だからこそ、地域の大人は加害者生徒をかばうようなことをしてはいけない。絶対にだ。
「この年頃の子は活発だから行き過ぎも」なんて理屈がまかり通るようではいけないのだ。
活発でない子が「いじめられっ子」という差別用語にも似たレッテルを貼られる中、
加害者がのうのうと暮らして普通に高校受験をする世の中であってはならない。


ここからは本っっっっっ当に不適当な比喩表現で、不愉快に思われる方がおられたら申し訳ないのだが、
ダビスタってありますな。競馬ゲームの。
あれで強い馬を作ろうとすると、強い調教を課すことになるわけだけど、
強い調教を課し過ぎれば馬はケガをしたりして、目標のレースを棒に振ることになる。
これ、子育てだって同じ事なんだよね。
塾や予備校という『厩舎』に子供を預けて、毎日厳しい調教を課して、
その結果、子供が精神を病んでいじめの加害者になってしまったのであれば、
目標の『お受験』はしくじってしかるべきなんだよ。
なのに、人格と成績は関係ないような顔をして、のうのうと一流高校を目指すというのは間違ってるんだ。

だからあえて言いたい。
 「三重県の高校は、この学校のこのクラスをしっかり特定し、
 そのクラスの生徒が受験する時にはハンデを背負わせるべきだ」
と。
・・・いや、この理屈、無茶でもなんでもないんだよ。
事実、私より数年前に中学を卒業したセンパイがある公立高校で妊娠騒ぎを起こしたらしくて、
それからウチの中学の生徒がその高校を受けるときはボーダーが数十点も上げられたんだ。
第一志望だっただけにキツかったね。

確かに、直接の加害生徒以外にとっては迷惑極まりない話だろう。
いじめの空気が蔓延している中、勇気をもって断罪するのは難しい。それはよくわかる。
だが、「僕もある意味被害者なんです」などと言うのはおかしな話だ。
クラスの雰囲気というのは全員で作り出すものだろう。
いじめというのは一人でできることではないのだ。


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昨日の記事に送られてきたトラックバック記事を読ませていただいた。
その中に、「段々エスカレートしたという言い訳は通用しない。旅行先にバリカンを持ってくること自体がおかしい」
というコメントがあった。確かにその通りだ。

投稿者 nakimi : 18:54 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月17日

三重の中学生、同級生を3人で丸刈りに   [ Column002 ]

同級生を3人で丸刈り 修学旅行中、三重の中学生
(記事全文はリンク先のほか追記に保存)

こういうニュースを見るたびに思うのは、
「人の痛みがわからない子供が多いな」ということ。
(「増えた」わけではない。昔から「多い」のだ)
”宮城県立蔵王高校”をワードに検索して来られる方も多いので、今回は人権問題について改めて考察したい。

この事件の背景にあるのは、悪質ないじめの構造ではなく、
「アイツをこうしたら笑えるんじゃね?」という気軽な発想から出たイタズラなのではないだろうか。
しかし、同じ事を自分がされたら泣くか怒るかするはずなのに、笑いのために他人を犠牲にできる。
その考え方はある意味いじめより深刻だ。

お笑いマニアはよく、「誰も傷つかない笑いなんか無い」と口にする。
kasahara氏からも同じような話を聞いたことがあるので、誰か影響力のある人が言い出した定説かもしれない。
しかし、誰も傷つかない笑いだってちゃんと存在している。
落語を見てみなさい。誰も傷つかないで笑いを取ってるではないか。
(もちろん、「あの若旦那のモデルになった人は・・・」とか言い出したらキリがないが)
それを一歩(半歩くらいかな?)進めて、
「誰も傷つかない笑いは笑いではない」と思う人間がいるのは非常に危険なことだ。

悪質なイジメの構造ではないのでは、と言ったものの、中高生のいじめには2パターンある。
一つは、受験など日々のウサを晴らすために弱者を虐げるもの。
そしてもう一つは、「アイツをいじめると笑える」という歪んだ精神構造がクラス中に蔓延しているというものだ。
その最たる悲劇が「お葬式ごっこ」だろう。教師も含めクラスぐるみで一人の生徒をいじめた挙句の悲劇だった。
「アイツを笑いものにするとクラスの人間全員が笑う」ということを肯定的に捉えてしまい、誰も疑問を抱かなくなる。
前者型のいじめでは、「アイツの次は自分だ」という恐怖からいじめに荷担するということをよく聞くが、
後者型の場合、誰もその悪に気付いていないところが恐ろしい。
そうした意味で考えれば、
この、丸刈りにされた生徒が集中的に笑いものにされてしまうようなクラスなら、
これはより悪質ないじめであると言えるだろう。

今回の事件では、子供達が本当の笑顔を忘れているという現実を改めて見せつけられた気がする。
ゆとり教育でも非ゆとり教育でもいいから、人が人の心を失わないようにしないと・・・!

投稿者 nakimi : 21:20 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月14日

個人ニュースサイトのキモチ   [ Column002 ]

ここ数年よく見かけるようになったのが
気になる話題を1日に10も20も集めてリンクを貼り、ほとんど内容には触れない、
いわゆる「個人ニュースサイト」と呼ばれるものだ。
来訪者は毎日その個人サイトを閲覧するだけで興味のある情報に飛ぶことができる。
人気になるのも頷けるスタイルだ。

しかし私はこれが大の苦手。
何の解説もなくただただ下線付きの見出しが羅列されているのを見ると頭が痛くなってくる。
それに、やはり他人様の情報にリンクを貼ってアクセスを伸ばしている以上、
一言くらいは何かコメントを入れて欲しいものだ。

「見たい者は見よ」「買いたい者だけ買えばよい」
こういうのを「武家の商法」と言うのだ。


が、

どうしても寸評の入れようがないニュースというのも中には存在する。
批判のしようも擁護のしようもなく、誉めるわけにもいかないがさりとて責めるほどの事でもないような・・・

「解説も寸評もできないがなんとなく気になるニュース」を一言で表すいい言葉ってないもんかねぇ?


Xbox360情報流出の“犯人”は宇多田だった


・・・ね?
コメントのしようがないでしょ?(笑

投稿者 nakimi : 23:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月12日

「誰々から聞いた話なんだけど」   [ Column002 ]

TBSのサイトにあるコラムから、盗用が次々と見つかったらしい。
近年では最も親しんでいる放送局なだけに大変残念なことだ。


私が日頃から気をつけていることの一つに「話の出元をはっきりさせる」というものがある。
金言を賜ったら誰でも人に話したくなるもの。
そこで「誰々さんが言ってた話なんだけど・・・」と一言加えるのがフェアな行為だと考えている。

ただ、それだけに、
「母が」「BARのマスターが」「蕎麦屋の主人が」と、同じ人が繰り返し登場することになり、
「あら、またママのお話なの?(笑」とか
「影響されやすいんですね(w」なんていう、うがった見方をされてしまうのではという危惧もある。

最近では、秋田料理店のおカアさんが素晴らしいお話をしてくださるので、
つい、「いやー、秋田料理のお店で聞いた話なんだけどね」と繰り返してしまい、相手を苦笑させてしまう。

#そう言えば、家族と話すときは「そう言えば伊集院光の番組でね」と前置きすることが多いな・・・。

「持論だって元々は誰かの意見にスパイスを加えたものだろう?」と言われるかもしれないが、
だからと言って、聞いた話を知ったかぶりして右から左に伝えていいってものでもないだろう。
本歌取り気取りで詩的に変換したところで同じ事。


私と話す機会のある方は
「また何々屋さんから聞いた話ー?」と、嫌な顔をせず、
「ああ、nakimiはフェアな情報伝達を重んじてるんだな」と、思っていただければ幸いである。
・・・正直、聞いている側からすれば「くどい」だろうとは思うんだけどね(>_<)


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追記

ソースの公開という意味ではなく、「誰々さんの言葉だから価値がある」みたいな使い方をする人も少なくない。
「知り合いの音楽プロデューサーがさー」なんて感じに。

鼻につくのは確かだけど、それはそれでアリかなという気もする。
ただし、その人の話した内容を意訳せず正確に伝えるという条件付きで、だけどね。

投稿者 nakimi : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月01日

恒例の土曜日競馬番組について   [ Column002 ]

先週分はこちら

今週もまずはウイニング競馬から。
”立花優美"で検索して来て下さる方も多くいらっしゃるので毎週酷評というのも心が痛むのだが・・・
彼女はアイドル枠でいいんじゃないかな。横でニコニコしていてくれれば華やぐし。
無理に役目を与えようとしてオッズ読ませたり原さんと絡ませたりしなくていいと思うよ。
水原恵理アナは段々とこの時間帯の雰囲気が掴めてきた様子。
それから、なんだかんだいってG1出走馬の調教VTRが確認できるというのは助かる。
あしたのGですら5頭挙げて寸評を入れていたのに、うまッチ!になってからすっかりやらなくなってしまったし。
ところでその調教VTR、なぜ「奥の馬」「手前の馬」と表現できないのだろう。
見慣れないウッド調教をいつも通り「内」「外」と表現されても瞬時に理解するのは難しい。
どうせ視聴者には直線しか見せないのだからカーブの内外なんか関係ないと思うのだが・・・

先週はじめて見た「ウハウハ競馬」は、出演者がテレビタレントではないということを意識すべきだろう。
内外タイムスの記者さんなんか、決してボソボソしゃべっているわけではないのに、BGMが大きすぎてよく聞こえない。
番組自体は、15分間の中に翌日のメーン予想が詰め込まれていてしっかりした内容になっている。
注目馬を示すたびに馬柱をしっかり見せてくれるのも嬉しいポイントだ。
全体的に地味目感はあるものの、我山亜希子さんという華もあるし、見ていて不快になるポイントが少ないのもいい。

そしてうまッチ!だが・・・
今週は柴田の反省からスタート。
「先週はさんまさんを前に芸人のサガが出てしまい、番組コーナーをないがしろにする発言がありました」
なんだ、わかってんじゃん。・・・と、思ったら、山崎の「コンビとしては責任取れないよ。個人でね」という横槍。
自分がビッグレッドファームの岡田氏に対して礼を失したことには触れもせず、なんという言い草だろう。
・・・しかし、今回それ以上にひどかったのは、福原さんが予想を述べている時の空気だ。
◎トウショウナイトのフリップを出して、
「私、今週は美浦に行っておりまして。美浦に取材に行ったのに栗東の馬を買うのもナニかと」
ここまで話したところでスタッフの「ヘヘヘ」という笑い声。
そしてスタジオ全体に笑いが拡がり、それに乗るように若槻の「ホントですよー!」
スタッフ全員が「美浦に行ったのに栗東の馬を買っちゃったお茶目な福原さん」だと思って笑っていたわけだ。
・・・でも、トウショウナイトは美浦の馬なんですけど・・・
福原さんは「美浦に行ったのに栗東の馬を買うのもナニかと思いこの馬にした」と言おうとしていたのに
スタッフ全員がわかってないってどういうことよ?!
まぁ確かに福原さんも気を持たせる言い方をしてたから勘違いしちゃうのもわかるけどさぁ・・・。
で、そんな中、意外にも山崎一人が「義理堅いですね。おぉー」と、
話の筋が通るコメントをしていたが、そんな時に限ってスタジオの笑い声にかき消されていた。
なーんかなー。

投稿者 nakimi : 09:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月30日

落語って、きてる?   [ Column002 ]

古いHDDを整理していたら、丸2年前の「深夜の馬鹿力」を録音したrmファイルが出てきた。
この頃ちょうど、キムタクの「GOOD LUCK!!」をやっていたらしく、
当時のコーナー、切ない風景を描写する「せづね絵」に
「ドラマGOOD LUCK!!のせいで、それまでは絶好の航空機撮影ポイントだったところが
おしゃれカップルに占領されはじめ、肩身の狭い思いをしている成田の空港マニアたち」

というネタが投稿されていた。
「そのおしゃれカップルらが撮影している人を見かけたとき
『こんなとこまできて撮ってるなんてきっと、キムタクになれると思ってんじゃないの?』
なんて言われかねない」なんて被害妄想名言も生まれる始末。
でも確かにそうだよなぁと思ってふと気付く。
・・・まさか、タイガー&ドラゴンのせいで落語も・・・
そんなことを考えながら昨日の放送を見ていると、思いもかけず主役の口からこんなセリフが飛び出した。
「てめえらが軽々しく『きてる』だの『終わってる』だの言うたんびに一喜一憂してる奴がいるんだよ。なぜだかわかるか・・・
必死だからだよ!!」

・・・響いたねー。
 #ドラマの中ではネットの掲示板で持ち上げられたり降ろされたりする主人公(長瀬)の姿なんかも描かれていたから
 #8年もサイト運営している身としては、ある程度の自戒の念みたいなものにもかられたけど、
 #うちの場合、ノリで評価したりしないからね。「本物」か「そうでないか」だけだから。
なんか、今の世の中って、器用なことばかりがもてはやされて、必死な気持ちってのが軽んじられてる気がする。
2ちゃんねるの「必死だな」って挑発、あれ、昔から大っ嫌い。
自分の主張を曲げずに立ち向かう必死さを嘲り笑うようなのにロクな人間はいないよ。
たとえシャレでも匿名でも、一度でもその言葉を使ったことのある人間は猛省すべきだと思うね。

ここのところ、落語だのオペラだの日本蕎麦だの、
「通」と呼ばれる人が好む趣味について色々と書いてきたわけだけど・・・
あたしゃ別に「通」じゃありません。ただ好きなだけ。
落語は昔から聞いてたし、寄席芸人伝なんか読んで裏側にも興味を持った。
オペラは声楽やってた関係上よく聞くだけ。
声楽曲しか聞かないからクラシック通なんてカッコいいものではない。
蕎麦は・・・こりゃ単に出会いのもんだね。
家の近所に、日本一の蕎麦屋がひっそりと店を構えていて、それを偶然知ったらどうします?
そりゃあ、嬉しいし、自慢したくなるでしょう? その程度のもんです。
別にどの趣味も、粋を気取ってにわか仕込みで身に付けてるわけじゃないんですよ。 ただ好きなだけ。

でも、この「好き」って気持ち、単純なだけに汚されたくない。 そう、冒頭の話です。
タイガー&ドラゴンのおかげでにわか落語ファンが増えちゃうと困るなー。
以前、音楽専科のほうで、
「インディーズバンドがメジャーになった時に『私は来ると思ってた』と言う奴がいるが、
別にメジャーデビューしてからその魅力に気付いた人より優れているってわけじゃない。無益な自慢話だ」

と、いうようなことを書いた。
そこからいくと、この「にわか落語ファン」だって認めろって話になる。そりゃそうだ。
しかし、一時の流行に流されて食いついてきたような手合いが
落語という文化を大事にしてくれるとはとても思えないのだ。
インディーズバンドブームだってそう。
あの当時ワーキャー騒いでいた連中はとっくに次のごひいきを見つけているはず。
そのことが、
例えばドラゴンズを19年間愛し、例えば井上陽水先生を18年間愛し、
例えば声楽を10年以上やり続け、例えば落語や浪曲を昔から聞いている人間からすると、許せないのだ。

入ってくるなとは言わないよ、と。
ただ、入った以上はこの場のマナーてぇもんがあるからね、と。
出て行くなとも言わないよ、と。
ただ、アンタが飽きたからって、この文化が終わったような物言いはよせよ、と。
そういうことを考えながらドラマを見ていたら、長瀬クンがカッコいいセリフ言ってくれたもんだから、
「よく言ってくれた!!」と、拍手を送りたくなったってわけです。


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ところで、先週のエンタの神様を見ていたら波田陽区が
「落語のドラマに出演しているのに、笑福亭鶴瓶が落語やってませんから!」というネタを出していたのだが・・・
落語の師匠さん(西田敏行)とは昔馴染みという設定のようだし、
例えば元・兄弟子だとかそういうストーリーもあるような気がするんだけどなぁ・・・

ま、その可能性を振り切ってでも鮮度のあるネタを披露しないと、
また僕秩あたりから「波田陽区がネタをパクった!」と、言われかねないからしょうがないのかな。


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昨日2件のトラックバックが送られてきたのをきっかけに、
サイドバーに「最近のトラックバック」を表示させるようにした。
ただ、コメントと違って選別できないので、場合によっては非表示に戻す可能性も。

それから、各記事にどのカテゴリであるかを表示させるようにした。
これで少しでも「その日の記事」以外にも興味を持ってもらえれば、と。
RSSリーダーで最新記事をめくるだけだとなんか味気ないからね。公開するこっち側からも気を遣わないと。
本当はブラウザで入ってもらってこうさぎと戯れてもらったりBlog以外にも飛んでもらえればそれが一番なんだけど。

投稿者 nakimi : 18:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月28日

「誤解で暴行」と「逆ギレで暴行」の差   [ Column002 ]

「化粧」注意され電車に接触させる 22歳女逮捕
(記事全文はリンク先のほか、このエントリの追記に保存)

このニュース、元々はこのように報道されていた。
駅のホームで汗ふき、誤解で注意した相手にけがさせる
マナー違反は元々無く、誤解がきっかけだったというものだ。

もちろん、これは犯罪行為であり、擁護できるものではない。
しかし、動機が求められるのであれば、容疑者の心理も正しく伝えるべきではないか。
それをYahoo!ニュースは、
# それでもあなたは電車の中で化粧をしますか? - 東京都交通局
# 駅と電車内の迷惑行為ランキング - 日本民営鉄道協会
# 電車のマナー講座 - 西武グループ
などへのリンクを貼り(内、鉄道協会へのリンクはタイムアウト)、
マナー違反をした上に逆ギレしたという雰囲気を作り出している。

22歳という年齢もあり、「逆ギレした若者」という形で報道するのが一番楽なのはわかるが、
せめて既報くらいは正確に踏襲できないか。
誤解で殴ったのと逆ギレして殴ったのとでは世間の印象が違いすぎるし、
電車の中で化粧をしたのとホームで化粧をしたのも違う。
慎みの問題からすれば同義かもしれないが、
車内という閉鎖空間において、ひとつの小社会を形成した中での暴走は咎められて然るべきであるのに対し、
ホームというのはジュースは飲むわたばこは吸うわの自由空間だ。(私はこのどちらも不愉快に感じるが)
そのあたりの情報に対する扱いがひどいように思う。
うまく捻じ曲げて、「マナー違反はあった」「誤解ではなく逆ギレ」と、『ニュースを創る』姿勢に恐怖を感じた。


無職女性の注意の仕方にも問題はあったろうね。
言ってることは正しいんだけど、割と厄介者扱いのオバサンっているじゃない。
あんな感じで注意したんじゃないかなー。「まったく最近の若い子は」みたいな捨て台詞もつけたと思うし。
・・・ま、それが容疑者側の情状酌量につながるかどうかはわからないけど。

禁煙フロアでたばこを吸う馬鹿をなだめるのって気を遣うでしょう?
あの感覚を失うと痛い目を見るって意識は必要だと思うよ。

投稿者 nakimi : 10:27 | コメント (1) | トラックバック

2005年04月24日

土曜日の競馬番組 -ヨイショの名人-編   [ Column002 ]

「情報番組だ情報番組だと杓子定規に切り捨てず、番組の成長を見守ろう」
という、一視聴者としては殊勝が過ぎる心がけで続けている毎週の競馬番組評。
先週分)(先々週分)(三週前)(四週前)(3月13日分)(2月2日分)(1月16日分
そんな私の心が通じず、いつまでたっても番組は進歩してくれない。果たして今週はどうだったのか。

まずウイニング競馬だが、立花優美嬢にオッズを読ませるのはもうやめていただきたい。
本当にイントネーションがおかしいのだ。みんな気付いてるはずだよ?!
今週はエンディングもグズグズ。
優美嬢は推奨馬が1着4着だったことに大喜びでカメラアピールに必死だし、
番組の良心として残ったはずの原良馬氏が「いやー、ホントにデムーロ騎手うまいわ」って・・・
デザーモだろっ!!
・・・今日みたいに土曜重賞が無い日は見ない方がいいかもしれないな、この番組。
(ま、そんな脅かし入れなくても、重賞のあるなしで確実に視聴率の影響は受けてるだろうけど)

そしてうまッチ!だが・・・今週はホント見所が無かったね。
明石屋さんまが初のスタジオ来訪、というのが一番のトピックスで、
番組として成り立っている部分がそこだけというのは・・・
フジの新人社員研修まで兼ねてるし、アンタッチャブルはさんま師匠さんま師匠繰り返すだけ。
競馬番組の視聴者としてじゃなく、一人のお笑い好きとして言わせてもらうけど、太鼓持ちと芸人は違うよ。
特に山崎。「いやいや、さんまさんなら大丈夫ですよ」って、この30分で何回言った?
命名の権利を譲ってくれたビッグレッドファーム岡田氏への気配りなどまったくなく、
「いやいや、さんまさんにつけてほしくてしょうがないんですよ」と、目の前のヨイショに必死だ。
ありゃあ、真打ちに上がれない万年二つ目なんかによくいる「ヨイショの名人」ってやつだね。
名人ったって、「ヨイショがお上手」なんていい意味じゃないよ。
「芸はおろそかだけどヨイショだけは一人前だな」というイヤミで言われてんだ。
もう少ししっかりしてくれないもんかねぇ・・・。

太鼓持ちと芸人は違うなんて言ったけど、本来はこれを太鼓持ちなんて呼んじゃ本職の太鼓持ちに失礼なんだよ。
太鼓持ちってな本来は『幇間』、つまり間を持たせるプロフェッショナルだ。
なのに山崎のやってることは「とにかく声出していこう」ってだけ。周りの発言とかぶってもお構いなし。
「情報番組?いやいや、僕らが起用された以上僕ら流の盛り上げ方がありますから」と、言わんばかりに
競馬に背を向けているにも関わらず、
その実やっていることは芸のげの字もないただの「賑やかし」。
彼らのポテンシャルはこんなものだったのか? だとしたら残念なことだ。
コントも漫才もMCもいじられ役も、なんでもできる万能型として一目置いていたんだけどなぁ・・・

笑えたのが、ヨイショされる側のさんまが
「競馬情報番組なんだから」と皆をたしなめる場面があったこと。
競馬ファンの目線に立った氏の言葉を、番組スタッフ共々心に刻むべきだろう。


あと、たまたま目に付いたのでテレビ埼玉(以外にローカル各局でも放送)の「ウハウハ競馬」という番組を見てみたが、
ラジオ局のスタジオを半分借りましたって感じの手作り感が漂う雰囲気だった。
内容は、元騎手と記者を招いて明日の展望を語るというものでしっかりしていたのだが
これはこれで画的に息苦しいものを感じた。
我山亜希子さんは可愛らしかったけど、この番組には華よりも空間が必要なのでは・・・。

投稿者 nakimi : 02:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月21日

4月20日のきょう発プラス!について   [ Column002 ]

昨日のきょう発プラス!を見ていたら、
埼玉県越谷市立千間台小学校の教諭自殺についてのニュースが流れてきた。
伊藤隆太アナは「親に付き添われて登校する児童の姿が目立ちました」と、したが、
別に殺人鬼がナタを振るったわけでなし、
親が付き添うのはどう考えてもマスコミの無神経な取材から我が子を守るためだ。
それをいかにも「悲劇の爪痕」のように語るのはいかがなものだろう。
全校集会のため体育館に向かう子供の姿を望遠で押さえておきながら
そんなところでこっそり正義面するのは虫が良すぎるのではないか。

さらにこの後ワイドショーのスタジオに戻ったところで、
「首吊り自殺5つの謎」みたいな興味本位の特集が組まれていた。
・・・何がやりたいんだTBSよ。
それで誰が救われるのだ。


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それと、いつも気になるのが荻原博子というオバサンのコメントだ。
前の番組で経済ジャーナリストとしてカードローンや外資について語っていたときは良かったのだが、
きょう発プラス!になってから芸能にでもなんにでも首を突っ込むようになり、
そのコメントがほんっと一方的というか、物事の深奥を外したものが多いのだ。
もちろん、そういう役目を果たしていることがご本人の本意なのかどうかはわからないが
できれば適材適所に戻していただきたいものだ。
「ふぅーん」「ふわぁー」「むぅーん」「ふぉー」と感嘆の声をあげるばかりで何の役に立っている